光ヶ丘鉄道の一日(小説版)

□光ヶ丘鉄道の一日(最終章)
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(最終話),AfterStory
「光ヶ丘鉄道時代には、成しえなかった近代化を、会社が消える事で果たした…」
 三ノ輪駅で電車を降りた2人…桃園Pと山吹Pは、久々に訪ねた嘗ての勤め先を見て、大きなため息をついた。
「話には聞いていたけど…」
「私たちがいた時代は、ほぼ全ての列車が蒸気機関車牽引だったからね…。681系以外の電車が、普通に走っている現在を、全然想像できなかった…」
 三ノ輪機関区まで行ってみると、そこには嘗て乗務していた蒸気機関車が、ほとんど変わらずに佇んでいた。光ヶ丘鉄道だった当時は毎日繁忙期の状態、その日の運行が終了した夜中から早朝くらいしか、こうして並んで佇むことはなかったと、2人は記憶している。
「時代は変わったんだね…」
『あっ…。桃園Pさんに山吹Pさん、久しぶりね』
 聞き覚えのある声が聞こえ、2人がその方を向くと、機関車の後ろから白雪Pが顔を出した。
「お久しぶりです」
「あなたたちが、あおぞら銀河鉄道へ移って以来だものね…。C56が戻ってきた時も、あなたたちが乗ってきたわけではなかったし」
 旧光ヶ丘鉄道C56は、他の機関車同様にひばりヶ丘鉄道車籍となったが、暫くの間はあおぞら銀河鉄道総合車両センターに保管されていた。当時は路線の補修工事が行われており、まだ返却回送が出来なかったからだ。
 返却回送時には、あおぞら銀河鉄道所属の電気機関車が牽引して、三ノ輪機関区まで運んできたが、機関車に乗務していたのは2人ではなく、別の乗務員だった。
「私たちはまだ、電気機関車の運転資格を持ってませんから」
「そういう事だったのね。」
 そのまま白雪Pに案内されて、三ノ輪機関区内を回った。構内は光ヶ丘鉄道時代とはほとんど変わってはいなかったが、青い機関車(トーマス)と客車が無くなっている事など、変わった点はいくらでもあった。
「電車化したから、1つの重要な役目を失ったわけだけどね」
「機関車自体も疲弊していたんですから、今の走行頻度で十分じゃないですか?」
「C56は、それで壊したようなものだったからね…」
「うちの会社…あおぞら銀河鉄道は、このC56を直すのに、ものすごく苦労したっていう話でしたからね」
 最初は1両の機関車を修理する筈だったのが、あおぞら銀河鉄道では結果的に2両を修復している。もう1両は、光ヶ丘鉄道のC56と台枠を交換する代わりに、移設と修復を引き受ける事になった別の同型機。現在では、あおぞら銀河鉄道潟守駅前に保存され、鉄路の後輩たちを見守る日々を送っているようだ。
「そっち…あおぞら銀河鉄道さんも、いろいろやってたのね」
「他人事みたいに言ってますけど…。見た目以上に状態が悪くて、台枠以外の修復も大変だったとも言ってました」
「…それで??」
「それでも不満なんですか…」
「不満ではないけど…。いい意味でも、悪い意味でも、光ヶ丘鉄道を壊してくれたなって…」
「それは、何とも言えませんけど…」
 旧光ヶ丘鉄道の無能な経営陣が逮捕された後、それまでは一致団結していた乗務員含む現場職員は離散した。現在残っている生え抜きの現場職員は白雪Pくらいなもので、後の現場職員はほぼ、あおぞら銀河鉄道へ転職していた。
「電車化して、運行効率とかはよくなった。お客様から聞く評判も、光ヶ丘鉄道時代と比べれば良くなった…。でも、これは私が望んだ事ではなかった」
「望んでいなかった?」
「…この近代化のおかげで、この蒸気機関車たちはご隠居宜しく、ほとんど車庫で保火され、休日とかを中心に走るだけに過ぎない。忙しく走り回ってこそ存在意義があった、この機関車たちの意義を失わせたのよ!?」
 白雪Pの言葉に、2人は言葉を失ってしまった。
「碌に管理も出来ない鉄道会社で、蒸気機関車の運行が上手くいくと思ってたんですか?」
「…あの経営陣を追い払って、線路をしっかりと整備してくれたことは感謝している…。それでも、やっぱり蒸気機関車を活用してこそ、この鉄道だったと思ってたから…」
「私たちの目から見て、光ヶ丘鉄道時代は…機関車が壊れたら直せない、そして他人任せに修理を依頼し、修理費用は完全に踏み倒す。それで平気だったんですよね」
「そんな事は…」
「責任は白雪Pさんではなく、光ヶ丘鉄道の経営陣だったとは思います。ですが、私たちは無論、白雪Pさんも、蒸気機関車を動かす技術はあっても、整備や点検は完璧には行わず、部品交換する技術もない…。全て、きららPさん頼みだったんですよね」
 白雪Pはついに黙り込んだ。
「光ヶ丘鉄道単独では、蒸気機関車を長らく使い続ける事は、無理に等しかったんです。分かりますよね」
「…そうだったのかもしれないわね」
「確かに運行頻度は減ったとは思います。しかし、蒸気機関車の整備や修理技術のノウハウがある、あおぞら銀河鉄道の全面支援を受けて動態運行を行える…それのどこが不満なんですか。現に、白雪Pさんが光ヶ丘鉄道を再興した時の理由、果たせているじゃないですか」
 桃園Pは一度、白雪Pが光ヶ丘鉄道を再興した理由を、間接的ながら聞いた事があった。それは現在でも少なからず実現はしている。むしろ、過度な運行を抑える点では、現在の方が理にかなっていると、桃園Pは話した。
「光ヶ丘鉄道は、ひばりヶ丘鉄道に吸収という形で消えました。しかし、白雪Pさんが、この鉄路を再興した思いまでは消えていないと思います」
「…そうなら、いいけどね」
 言葉少なめに、白雪Pは頷いた。
 光ヶ丘鉄道が運行停止となってから、ひばりヶ丘鉄道の1路線として再開業するまでの間、白雪Pにもいろいろあった。鉄道会社としての"光ヶ丘鉄道"の清算手続き等、とにかく事務作業に追われていた。書類上は消えた鉄道会社と、別の会社の路線となりながらも現存している旧光ヶ丘鉄道線。とにかく複雑な気持ちで、この場所に居続けている。
(まだまだ割り切れていないのかもね…)
 桃園Pたちが帰った後、三ノ輪駅に電車が停車し、そして発車してゆくのが見えた。
 嘗て681系サンダーバードを迎えるため、急遽張った架線設備。いずれは他にも電車を導入し、運行の効率化などを考えてもいた。そのうちに計画変更してしまい、導入を断念してしまっていたが、現在では普通に電車は行き来しているし、当初の光ヶ丘鉄道設立の目的だった、蒸気機関車たちの"走りたい"という願いは叶っている。
 それでも…白雪Pは何かが引っ掛かっていた。
(この鉄道の現在は、確かに自身でも描いたものだった。それでも…)
 それは我侭だとはわかっている。今更、何を言っているのかも分かっている。
「やっぱり、この鉄道は、自分の手で発展させたかった…」
 そう呟きながら、白雪PはC56の点検に取り掛かった。走る機会は少なくなったとはいえ、まだまだ観光列車の牽引という、蒸気機関車たちに与えられた役目があるのだから…。
END 
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