光ヶ丘鉄道の一日(小説版)

□光ヶ丘鉄道の一日(最終章)
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(前編)その後…
 光ヶ丘鉄道が、突然運行停止してから、半年経ったある日…。
「光ヶ丘入口、光ヶ丘入口です。この電車は、各駅停車光ヶ丘行です。反対方向からの電車を待ちます。発車まで、しばらくお待ちください。」
 光ヶ丘入口駅には普通電車が停車し、反対方向から来る電車を待っていた。
 光ヶ丘鉄道は運行停止後、復旧することなく廃止された。路線及び設備など一切は、ひばりヶ丘鉄道が継承。親会社であるあおぞら銀河鉄道が全面的に協力し、路線の全面的な改修工事が行われた。運行する列車も、それまでの蒸気機関車牽引の客車列車に代わり、全てが電車となった。それに伴い、ひばりヶ丘鉄道には新たに4編成の電車が増備された。光ヶ丘線を運行するためには、それまでの保有車両では足りなかったのである。
『まもなく、各駅停車緑川行が参ります。危ないですので、黄色い線の内側まで、下がってお待ちください』
 やがて反対方向からの電車が到着し、客扱いのためにドアを開ける。
「蒸気機関車が走り回ってたの、今から半年以上前なのか…。なんか、ものすごく昔のような感じがするんだが」
「半年…果たして最近なのか、随分前の事なのか…」
 運行停止の随分前から架線設備はあったが、それを使用する鉄道車両は、臨時便などでしか使用されていなかった681系のみだった。現在のように定期列車全てが電車化することは、光ヶ丘鉄道時代には到底思いつかない事だっただろう。
「電車化した現在の方が、便利なんだけどな」
 やがて光ヶ丘行の電車が発車していった。
「各駅停車緑川行、まもなく発車致します」
 車掌がアナウンスすると、慌てて乗客が乗り込んだ。光ヶ丘鉄道時代はこの駅が終点駅であり、ほとんどの列車はこの駅で折り返していた。現在では中間駅扱いとなり、この駅で光ヶ丘方面へ折り返す電車は、朝夕方の少数列車と回送列車、臨時設定の列車くらいしかない。
 やがて電車が発車すると、再び静寂の時が訪れた。

 光ヶ丘鉄道線として運行停止された後、ひばりヶ丘鉄道光ヶ丘線として運行再開されるまでに大きな変化がいくつもあった。車両面では、それまで在籍していた蒸気機関車のうち、トーマスは客車と共に出元のソドー島へ召還された。この機関車の石炭は特別なものを使用していたため、他の機関車とは合わず、運行コストは高かった。代わりに機関士が1人で乗務しても平気ではあったのだが、全てが電車に置き換わった以上は必要なくなったと判断されたのだ。それに、時を同じくして、ソドー島からも返還要請があったためだ。
 残った8620形及びC12形は、そのまま休車措置となり、機関区に留め置かれていた。
「また放置されてしまうのか…」
『今はまだ大丈夫よ』
 運行再開までの間、桃園Pと山吹Pらは、機関車を有火状態で維持し、機関区内で機能維持運転を行っていた。とは言っても、実際には務めていた光ヶ丘鉄道が運行停止になったのと同時に解雇されており、当初は自主的に行っているだけにすぎなかった。石炭などが底をつけば、それらのことも出来なくなる。
「いつになったら、どうするか決まるのかしらね…」
 運行停止から1週間経って、山吹Pらは一時的に、ひばりヶ丘鉄道に再雇用された。当面は引き続き、三ノ輪機関区で蒸気機関車の維持管理を任される形ではあったが、再開業がいつになるのか分からず、処遇も分からない中だったため、心の中では焦りがあった。
 その後、光ヶ丘線が再開業を迎えた時、桃園Pと山吹Pの姿は無かった。後任の乗務員が来た事から、その人たちに後を託して辞めて行ったのである。
『私たちは、嘗ての同僚たちがいる、あおぞら銀河鉄道へ移ります』
 再開業前に、ひばりヶ丘鉄道の乗務員になるか聞かれた際、2人はそう言って辞退していた。その言葉の通り、現在はあおぞら銀河鉄道に移籍し、電車運転の訓練を受けているようだ。

 光ヶ丘鉄道時代に唯一在籍していた電車"681系サンダーバード"は、その車両の実質的な専属運転士であったきららPとともに、あおぞら銀河鉄道へ戻った。
「ひばりヶ丘鉄道の路線になったとはいえ、あの路線に戻る気はないです」
 きららPは車両兵器に追い回され、あおぞら銀河鉄道へ逃げて以降、その鉄道へ足を踏み入れる事はなかった。彼女及び愛車である681系は、光ヶ丘鉄道解散と共に、古巣であったあおぞら銀河鉄道へ復帰したのである。
「電車化した今は、きっといい路線になったのかもしれません。ですが、私が覚悟の上で、発展に尽力しようとした鉄道では、もうありませんから」
 光ヶ丘鉄道の実態を知って、自ら改善策を打ち出し、実行し始めていた頃に受けた仕打ちから、次第に彼女の気持ちは薄れ、消えていったのかもしれない。あおぞら銀河鉄道復帰後は、退職前の役職であった運転主任に再任命され、自ら乗務するのは無論の事、後輩運転士の指導を行う立場に戻っていた。

 光ヶ丘鉄道時代の鉄道管理者だった白雪Pは、そのまま光ヶ丘鉄道に事実上残った。ひばりヶ丘鉄道移行後も、蒸気機関車専門部署として残った三ノ輪機関区の責任者として、後輩となった機関士や整備士とともに、8620形及びC12形、そしてあおぞら銀河鉄道総合車両センターで修理されたC56の管理及び運行の責任者となっている。
 三ノ輪機関区所属の蒸気機関車は3機で、それがひばりヶ丘鉄道在籍の蒸気機関車全てとなる。ひばりヶ丘鉄道では独自でC56形を1機(C56-77)保有していたが、光ヶ丘鉄道の運行停止より2か月程前、あおぞら銀河鉄道へと移籍し、一時期は蒸気機関車の保有数は0となっていた。それが光ヶ丘鉄道を実質吸収した事で、再び蒸気機関車の動態運行を行う事となったのである。
『また蒸気機関車か…』
 ひばりヶ丘鉄道はC56-77の譲渡により、蒸気機関車とは無縁になれると思っていた。それは光ヶ丘鉄道吸収時も同様で、当初は蒸気機関車3機の管理・運行を拒否し、三ノ輪機関区も廃止する意向を示していた。
『ひばりヶ丘鉄道にとって、無理な事を頼むのは十分承知をしている。しかし、今後を踏まえたら蒸気機関車の動態運行は、いずれ観光列車として活用できる要素だと思っている。それに、無茶を頼むからには、あおぞら銀河鉄道は全面的に協力をする』
 旧光ヶ丘鉄道から引き継ぐ蒸気機関車のうち、C56形は同型車を最後まで運行していた実績があり、C12形は嘗て保有していた車両。8620形の運行経験こそなかったが、乗務経験のある人材がいる事、そして親会社の後押しもあり、とりあえず何とかなると判断したのである。
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