NoVEL V
□投稿用
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序章
――斬ッ!
月夜に響き渡る怪音が、酷く耳についた。生暖かい血液が頬に飛び、ついで湿った重音が耳朶を打つ。
胸糞の悪い感覚に、顔をしかめた。
「……あとは、勝手に死になさい」
たった今首を落とした相手に、告げる。口の動きに合わせて、早くも凝固した紫紺に濁る血液が剥がれ落ち、浅い湖面に舞い降りる。
見れば、鏡のような水面に映し出されている私の姿。纏った紅い外套(コート)も、両手に提げた双剣も――全身が、紫紺の結晶に汚れていた。
「き……さま……。何、者だ……」
背後――首だけになった竜擬きは、途切れがちながらも言葉を操(たぐ)る。驚きはしない、ただ鬱陶しいだけだ。
だから、答えるつもりなどもない。絶命までの短かな時間を、疑問の氷解に使ったところで、僅かな意味もないだろう。敵でしかない存在が迷いなく逝けるように計らうほど、私は慈悲深くない。
「貴方に名乗る名など、持ち合わせておりません」
振り返らず、そんな義理すらも持たず、私はただ体力が回復するまでの時間潰しとして、拒否の形で質問に応えた。
「……わ、われを、何故、殺し、た……?」
応じるが、答えは全て拒否。今も絶えず死んでいく異形に振り向かぬまま、肩をすくめて見せた。
「はっ、貴方は自らの存在が人間社会に害の無いものだとでも仰りたいのですか。あの少女を喰らうつもりだったというのに」
小さな湖の中心に、水面に浮かぶ少女がいる。四季も晩秋に差し掛かり、吐く息も白いこの山中の寒さの中、この竜擬によって水中に投げ入れられた不運なコだ。
途端に死ぬほどの水温ではないにしろ、このままでは水を飲んで溺死しかねない。しかし助けようにも、あとほんの少しだけ、体力が足りない。
「赤子を……養、うのは、生み、だし、た者の……使命で、あろう……?」
竜を真似た爬虫類のような首は、自らを赤子と言いながら小賢しいことを吐く。
もしも、回復を急く私を苛立たせようとして言ったのならば、それは目論み通り成功していた。意図せず奥歯が軋りをあげ、剣を握る両手に力が入る。
「……望まれない命などに、まして貴方のような命などには、親権も放棄したくなるのでしょうね」
それでも平静を装って皮肉を返したのは、私の無意味な意地のためだ。もう、殺しても良かった。
――動ける。この竜擬きの遺言に応えてやる時間は、使い果たしたのだ。
「では、そこで絶えなさい」
「言われ、ずとも、そのつもりだ……」
強い風が水面を薙いだのは、竜擬きの減らず口を聞いた直後。
正面からの風を孕んだ紅い外套(コート)がマントのようにはためき、隠れていた私の背を顕にした。
「っ!! ふっ……フフハハハッ! そうか貴様は――」
――弾ッ!
竜擬きの潮笑を次いだのは、炸裂の破音。そこに貫通の音が重なった。
瀕死のくせに、嫌にはっきりと響いた大音声は、だが一発の銃声によって呆気なく遮えられた。
揺れた湖面は、すぐにまた静けさを取り戻した。
「ぐ、が……」
眉間を貫かれた竜擬きは、何かを言いたそうに、しかし意味ある声を発することはなく、今度こそ、絶命した。
「黙りなさい……」
遅すぎる私の声は、当然聞こえてないだろう。解っていてそれでも、言わずにはいられなかった……。
夜の静寂の中、外套に隠した自動拳銃が、細く硝煙を上げている。
◇
「あれ……神父、さま?」
「ん……やぁ、気付きましたか、娘さん?」
焚き火の前で、意識を半分眠らせていた私を、女性特有の高い声が起こした。ともすれば、気付いたのはこうして浅く眠っていた私の方かも知れないが、それはいいだろう。
見回せば、辺りはもう夜を過ぎ、朝の光が山際を明るく照らしだし始めている。紅葉によって朱に染まったこの林にも、眩い陽光が当たり始めていた。
「あの、わたし昨日――」
思い返したらしい少女が言葉を言い切る前に、手で制した。そして、私がそれを継ぐ。
「――いけませんね、ご両親や司祭殿が心配しておりましたよ。幸い、湖に落ちた以外は、何事もなかったようですから、私も安心しましたが。
で、す、が、夜の山を一人でお散歩という無謀な真似は、もうよしてくださいね?」
「は、はい……。ごめんなさい、神父さんにまで、迷惑かけて……」
どうやら問題ないようだ。目の前の少女はもう《何も知らない》。
「分かってくださればそれで。では、村へ降りましょう。服を着て、準備してくださいねー」
真上、スカートや上着が干されている枝を指差す。立ち上る焚き火の煙で燻製のようになったろうが、乾いてはいると思う。
「あ、はい。……え、服……?」
――あ、何だかマズイ。失言だったかもしれない。いや、これは失策か?
いや、でも私、僧衣を掛けて上げましたし。お陰で私自身は秋の山中の寒さを思い知ることになりましたし……
「……と、とりあえず、後ろを向きますね」
ズザッと、その場で半回転した。ズボンの汚れや寒さなんて余計なことよりも、目先の危難を気にした方が良さそうだ。
「神父様……」
「は、はい?」
「見、ましたよね?」
省かれた主語は、もちろん解っている。
「脱がせるときに、ばっちりくっきり見ました」
だからかなり正直に答えてみた。
……そのせいなのか、後ろからは、只ならぬ殺気が放射されていたりするような。しかもお嫁がどうとか、ブツブツと呪いの言葉までセットで。
「あ、あの、これはですね、人命救助のための、不可こうりょぼっ!?」
弁明のために振り向こうとした私が見たのは、白い素足だった……。
無事に――だけど頬がジンジン痛むのは何故だろうか――娘さんを御両親の元に送り届け、私はいつもの別れを告げる。
「貴方達に、我等が神の祝福があらんことを祈ります」
――そんな、人間にだけ都合の良い“我等が神”など、存在しないと分かっている私が、ただ神父の義務として、告げるのだ。
これほど誠意に欠けた、まさに上辺だけの言葉が、果たしてあるだろうか。
……それでも、そんな歪な祈りしか紡げない私でも、親子は笑顔で見送ってくれた。