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□poisson d'avril
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オレンジ交じりの赤色をした小さな魚を見詰めながら、神崎直は透明の金魚鉢を爪で軽くはじいた。

微かな振動に反応した魚は突き出た口をゆっくりと開け、尾鰭をくねらせて音源から遠ざかる。



彼の、もしくは彼女の擬似的生活環境は、この部屋の住人である秋山深一によって常に完璧に保たれていた。

去年の夏祭りの出店で直に掬われ、どういうわけか彼の部屋に置かれるに至ったのだった。



それは直がこの一年弱の間に、彼の部屋に入り浸るようになった間接的な理由でもあった。

お魚さんが心配だから、それを口実にこの部屋を尋ねる直を、秋山は黙って受け容れて部屋に招じ入れる。

同じ部屋で過ごす時が増えれば自然と一線を越えることになり、そうなれば必然的により互いを求めて昼夜を問わずに側に居たくなる。

少なくとも秋山はそう思った。



それでも神崎直は、この部屋に泊まったことは一度として無い。

枕元で何を囁かれようともただ黙って散らばった服を纏い、また明日と言っては魚に語り掛けて去ってゆく。

そして次の日にはいつも通りにやって来る。

お魚さんの餌を買ってきました、お魚さんが元気か見に来ました、使い回されて擦り切れた口実を携えて。



きっと今日もそうして居なくなってしまうのだろう。

金魚鉢を観察し続けるその存在を後ろから抱き締め頭に顎を乗せると、秋山はここ最近言おうと思いつつも言い出せずにいたことを告白した。



「一緒に暮らさないか?俺と」



華奢な肩が一瞬ぴくりと揺れ、それからゆっくりと弛緩していった。





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