ranma 1/2

□ラプンツェル ─髪長姫─
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ラプンツェル ─髪長姫─




木々の梢が緩やかな風によってこすれて、さわさわとひそやかに囁き合う音が、静寂に包まれたままの森の中を満たしている。

青々と繁った空気の澄み通った、天からの木漏れ日が煌めく錦糸のように差し込む聖なる森。

──そのささやかな自然の饗宴に、瞳を固く瞑ったままじっと聞き入る、ひとりの青年の姿があった。



青年が馬上で手綱を固く握り締め、瞳を閉じたままに、まるで辺りを見回すかのようにして頭を動かす。

そうすると漆黒の長い三つ編みが、音も無くはらりと動きに合わせて背を滑った。

青年の頭の天辺には黄金色に輝く小振りの冠が乗せられており、差し込む木漏れ日を反射して、嵌め込まれた透明の玉がきらきらと目映く瞬いた。



彼の名を乱馬、と言った。

抑えの利かない乱れ馬のごとく、どうしようもなく破天荒なところのあるこの青年には、なんとも打って付けの名よ、と父王はよく云うものだ。

──彼は此の国の王子であり、次期王位継承者である。

頭に乗せられた冠と、金色と緋色の錦糸で織られた豪奢な作りをした衣、帯刀する刀の雅やかさを見ればそれも一目瞭然だった。



玉衣の背には金糸で縫製された、細部に至って繊細に織り込まれた天龍が描かれている。

その龍の上を滑る長い三つ編みが不意に、振り子のように緩やかに揺れるのをやめてぴたりと静止した。

些か切れ長気味の瞳がゆっくりと、花開くようにして開かれてゆく。

柳のように引かれた眉を僅かに顰めて、乱馬は青々とした天蓋に視線を縫い止めたままつぶやいた。



「──何か、いる」



押し殺したような声で投げ出された短い言葉の後、背の矢筒にむかって手が伸びた。










少し馬を走らせた後、乱馬は黒毛の馬からさっと飛び降りて矢筒から一本の矢を抜いた。

草叢(くさむら)に身を潜めて未だ奔り足りない様子の馬を鎮めるように、自分の髪とおなじ漆黒の毛をそっと片手で撫でる。

愛馬の毛を撫でるその手つきは優しいが、瞳には射るように鋭い色が隠しようも無く滲んでいた。



向けられた視線の先には、古びた石造りの塔が聳えていた。

深緑の天蓋を突き抜けて天に向かってのびる塔を見上げ、乱馬は瞳を僅かに細めて天辺に目を凝らす。

小さな窓が見えたが、そこに何かが一瞬ちらついた様な気がした。



「─…誰かいるのか?」



訝しげにぼそりとささやくと、乱馬は大弓を手にして矢を番(つが)えた。

武術、剣術、弓術のたぐいの技に長けた彼にとって、弓矢や剣といった武具は己が手のようなもの。

きりきりと弦の張り詰める音をさせながら、乱馬は更に目を細めて小窓のふちに狙いを定める。

──出てこないのなら燻(いぶ)り出してやればいい、とばかりに口の端が不敵に持ち上がった、──その時。



美しい歌声がまるでそよ風のようにやさしく、彼の耳を過ぎった。

魂まで休まるかのような、どこか物悲しいひそやかな歌声。

乱馬は思わず弓矢を手から落としてしまいそうになった。

──塔の小窓から、見たことも無いほど愛くるしい面立ちをした娘が、憂いを帯びた顔をのぞかせていた。



「ラプンツェルやー!」



思わず見惚れていた彼は、老婆の嗄れた声が直ぐ側から聞こえると、はっと息を呑んだ。

乱馬は矢を番えたまま草叢の影に更に深く身を潜め、突如としてほんの数メートル先に現れた老婆を見遣った。

白髪の老婆が、塔の天辺に向かって嗄れた声を張り上げている。



「ラプンツェル、ラプンツェルや、髪を下げておくれ!」



──ラプンツェル。それがあの娘の名か。

視線の先で、先程の娘が小窓からひょいと顔を引っ込めてしまったので、彼は内心がっかりとして肩を落とした。



そうしているうちに、長い長い艶やかな黒髪が小窓からするすると降りてくる。

驚きに目を丸める乱馬の視線の先、垂れた黒髪の先を老婆の皺だらけの手が掴んだ。

そしてそのまま髪に捕まり、老婆はせっせと塔の上へ向かって登ってゆく。

完全に老婆が小窓の向こう側へ消え失せると、漆黒の髪もまた上へしゅるしゅると巻き上げられていった。



腑抜けた表情のまま、乱馬はその場に力の抜けたように尻を付いた。

心臓が玉衣を破って飛び出してきそうなほどに、やかましく騒ぎ立てていた。








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