ranma 1/2

□seesaw
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少年は暇を持て余していた。

現在彼は試験の真っ只中にいて、いつもの如くものの10分で考えることすら放棄してしまったからだ。

カリカリ、とペンが藁半紙の上を引っ掻く小気味の良い音がすぐ隣から絶え間無くするので、彼はちらりと視線だけ動かす。

不真面目な少年とは正反対に、手を休める間もなく頭をフル稼働させている様子の、彼の許婚。

日々の勉学の積み重ねがあるため、彼女にとってはこのような紙っぺら一枚など、熟考して挑むに値しないのだろう。



(ったく、つまんねー…)



まだ試験開始後から15分しか経過していない。

解くことを放棄した少年にとってそれはただ、身じろぎもできずに机に張り付けられる苦痛な時間でしかない。

まだ30分も残っている。長い。

欠伸を噛み殺しながらまたちらりと隣を盗み見ると、今度はその一瞬で許婚と目が合った。

見ていたことがバレていたらしい。

驚いて目を丸くする少年に、少女が目配せで彼女の机上の紙を見るよう合図し、シャーペンの先でトントン、とそこを示した。

少年が少し目を凝らしてみると、余白の部分に文字が書いてあるのが見て取れる。



『解けた?』



少年はペンの先で顎を掻いて苦笑いしながら、自分のテスト用紙の十分過ぎる余白の一部分に、簡潔な答えを書き込む。



『ヒマだな』

『諦めるにはまだ早いわよ』

『考えてもムダだし』

『しょうがないわね』

『そういうお前はどうなんだよ』



彼の許婚が笑いながら小さくVサインを寄越した。

つまりそういうことだ。

誇らしげな小憎らしい少女に小さく舌を突き出すと、少年は紙に『バカ』と殴り書きする。

案の定、少女の口角が引き攣った。

ああ、退屈だからこいつも道連れにしてやろうか、と彼は内心ほくそ笑む。

ペンを置くと、彼は眼を細めながら。口の動きで彼女を挑発し始めた。



『バカ』

『あんたに言われたくないわ』

『不器用』

『うるさいわね』

『寸胴』



ボキッ、と不吉な音を立てて少女のシャーペンが真っ二つに折れた。

途端に彼らの周りの生徒たちがぎくりと身を竦ませる。

皆、少年が何らかのヘマをして許婚を怒らせたことを瞬時に悟ったのである。

さすがにやり過ぎたか、と恐る恐る彼が隣を窺うと──意外にも、少女は笑っていた。



『あんた、あたしに構ってほしいんでしょう』



やけに嫌味に瞳を細めた少女の言葉に、少年は少しむつけて唇を尖らせ、鼻で息を吸う。

口パクのはずがいつの間にか、僅かに声になってしまっていることに気が付かずに。



『誰がおめーなんかに』

『あたしのことずっと見てたし』

『見てねーよ』

『見てたわよ。好きなんでしょ』



カラン、と静かな教室に妙に響く音を立てて、少年の鉛筆が床に落ちた。

すかさず試験官が拾い上げて彼の机に戻し、ちらりと空白だらけの解答用紙を一瞥して、苦笑しながら前に戻っていく。

少年の顔は薄っすらと赤く染まっていた。



『だ、誰がおめーなんか!』

『誰もあたしのことだなんて言ってないじゃない』



指でペンをくるくると回しながら、少女は頬杖ついて笑む。

──その表情(かお)はまるで、年下の弟をからかっているかのような。

それを見止めた少年の顔からごくわずかに、赤みが引いていった。



(──なんで俺ばっかり、こんなに余裕が無いんだろう)



唐突に神妙な顔をして見せた少年の眼をのぞいて、少女がふと首を傾げる。

……乱馬?と。ごく小さな声で呼ばれても、彼の意識は深いところから中々浮上してこない。



「──なあ、あかね。おまえは、俺のこと」










数歩先を歩む少年の背を追いながら、少女はねえ、とすこし大きめの声を上げる。

夕陽を正面から受けて進む少年は立ち止まりはせず、代わりに無言で先を促した。

赤いチャイナ服とその向こう側から溢れる夕陽の色彩が重なって、一瞬彼がどこにいるのか分からなくなったような。──そんな気がした。

少女は長い髪を夕風に揺らして、数歩駆ける。



「さっき、なんて言おうとしたの」

「さっきって、いつ」

「テストの時よ。何か言い掛けたじゃない。チャイムで聞こえなかったから、もう一回言って」

「──ああ、あん時のことか」



少女が追い付いて赤いチャイナ服の背を掴むと、少年は歩みを止めて空を仰いだ。

何となくぼうっとした顔の彼のその視線を追って、少女もその動作に倣う。



「おまえは俺のこと、どう思う」



後ろから吹いたまだ少し冷たい追い風が少女の長い髪を散らし、空に向かってふわりと躍らせた。

頬をかすめた髪の動きを追うように、少年はちらと視線を流す。

許婚の少女が散らばる髪を手櫛で撫で付けているところだった。

眼をきょとんと見開いて。



「どう、って言われても」

「あ…いや、別に深い意味は無いんだけど」



慌てて少年が言い差すと、少女は不思議そうに首を傾げて、視線を空に迷わせた。



「そうね。あんたは頭が悪くて、怒りっぽくて、単純で、変態で…」

「……」



黙っていれば延々と続きそうな言われのない形容の列挙に、少年は重苦しい溜息を吐く。

──なんだ。いい印象なんかこれっぽっちもないじゃないか。



「とにかく、あたしが一番きらいなタイプね」

「……あーそうかよ」



少女は悪びれのない笑顔でそう締め括ると、少年の先を歩きだした。心なしか、浮足立った様子で。

──その理由を少年は、知っている。



「……俺って、ほんとに対極に居るんだよな」



頭もまわらない。すぐに癇癪を爆発させる。思いやってやることも、できなくて──全部、全部、真逆だ。

自分の全てを裏返したような、そんな男に、心を奪われている彼女。──もう随分と永いこと。



「東風先生!」



──きっと、シーソーの軸が彼女で、その端に居るのが自分と、あの男なんだろう。

踏ん張っても、力を籠めても、足掻けば足掻くほどに軸は傾いて、自分は地に足を付くことが出来ない。

揺れることすらないシーソーの。その端と端。

いつだって彼女の心を重く占めるのは、向こう側のあの男。

どうして、地に足付けていながらも決して受け止めてくれることのないあの男を、彼女は中心点からただ見詰め続けているんだろう。



──振り向いてくれればいいのに。

夕陽に呑み込まれていく小さな背を視界に収めて、少年は拳を握り締める。

こっちを向いてくれたなら。自分が地に足付けることのできる日が来たなら。



きっとこの腕で、きみの全てを受け止めて見せるから。






end.

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片想い時代なら、このくらい恋わずらいな彼でもいいんじゃないかなあ…と。

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