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□歌え、ただその人のために
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【歌え、ただその人のために】



 武蔵の国中程に位置するとある農村に、ひとりの年若く美しい巫女が暮らしていた。
 巫女は清浄なる霊力をもってして、悪しき者達の欲する全能の宝玉を守護していた。

 ある正月、年始の祝いに祭りが催されることになった。
 人々に乞われ、その場において巫女は神々に捧げる舞と歌を奉納することとなった。
 祭りもたけなわの頃、美しく装った巫女が凛として舞台に現れると、観客の口からは感嘆の溜息が漏れた。
 片手に神酒、もう片方には涼やかに鳴る鈴を掲げ、厳かな楽の音に合わせて巫女は優美に舞う。
 朱色の唇が動き、白いのどが上下し、彼方まで神々を崇める尊い歌が響き渡る。
 雪が降った。人々が手にする杯に、ぽつりぽつりと雪がとけ落ちる。
 歌い終えると、巫女は祭壇に向けて深く拝礼をとった。
 まだ夢見心地の観客がその姿を見守る中、ふいに後方でざわめきが起こった。

 いぶかしく思い巫女は振り返った。
 その瞳に、風のように駆けてくる赤い衣をまとった異形の若者が映る。
「新年の祝いの席にまで現れるとはな」
 苦笑混じりにつぶやく巫女に、舞台へひらりと上がった若者は鼻を鳴らす。
「けっ。新年早々へったくそな歌が聞こえてくると思ったら、お前だったのか」
 無礼を申すでない、半妖が!といきり立つ観客を巫女は視線で制した。
 ふたたび若者に向き直る。
「用が済んだなら去れ。神々の御前でくだらない争いは無用だ」
「なにが神々でい。てめえら人間が勝手に祭り上げてるだけだろうが。知るかよ、んなこと。それよりとっとと玉を寄越しやがれ!」
 若者の手が胸元に下げてある宝玉に伸びかけると、巫女の鈴が若者の頭を打った。
 しゃらん、と軽やかな鳴る。続いて、頭を押さえて悶絶する若者の声。
 観客からどっと笑い声があがった。
「てめーら、覚えてやがれ!」
 悔しげに捨て台詞を残して去ろうとする若者の耳元に、巫女は誰にも聞こえぬよう囁いた。
「……後ほど、いつもの場所で」
 若者ははっと振り向いた。
 聴衆に背を向けて、巫女は微笑んでいた。

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