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□服従した日
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 ぱらぱら、と嫌な雨が突如として窓硝子を打ち付けた。

 ハクは十露盤(そろばん)を弾く手を止め、おもむろに雨露に濡れる窓硝子の向こう側の空を見上げる。

 暗雲の立ち込める真っ暗な空。行く先の不安を暗示しているかのような。心象風景のような。


 「…胸騒ぎがする」


 ハクの呟きは、薄暗い帳場の隅へと消えてゆく。

 そのハクの胸中を計ったかのように、ちりん、と呼び出しの鈴が鳴った。








 
 「お呼びでしょうか」


 ハクは油屋最上階の湯婆婆の部屋にいた。湯婆婆は書類に目を通していたが、音もなくハクが現れると不意ににやりと嫌な笑みを浮かべる。


 「ハク。お前がここに来てもうひと月だ。…ここの仕事には馴れたかい?」

 「…はい。おかげさまで」


 どこか猫なで声の湯婆婆の声に微かに背筋に悪寒を走らせながらも、ハクは無表情で返答する。

 そうかい、と湯婆婆は満足げに鼻を鳴らす。その人の悪い笑みは益々深まってゆく。


 「まあ、そろそろ『潮時』なんじゃないかと思ってね。…お前はどう思う?」

 「…『潮時』?」


 ハクは、湯婆婆の不明瞭な言葉の意味を咀嚼しながら瞬きする。

 「潮時」とはどういうことだ。何の時が満ちたというのだ?


 「…お前に、そろそろ魔法を教えてやろうっていうんだよ」


 思考を廻らすハクに、にたりと笑いながら湯婆婆が換言した。

 一瞬しん、と部屋が静まり返る。

 呆気にとられたハクは少しだけ、目を見開いて湯婆婆を見据えた。

 
 「…魔法を、教えてくださるのですか」

 「契約書にきっちり書いたからね。『油屋での仕事をこなせるようになったら、魔法の弟子にする』と」


 普段は滅多に、というよりも全く表情らしい表情を見せない竜の少年が、この時ばかりはその深緑の目に期待の光を窶していた。

 湯婆婆はほくそ笑む。その光を蹴散らしてやる、というように。手玉に取ってやる、というように。

 …馬鹿な子だねぇ。世の中、そんなに甘くないよ。


 「…ただし、タダで弟子にしてもらえると思ったら大間違いだ」

 「はい、承知しています。魔法を教えていただけるのなら、何でもします」


 身を乗り出さんばかりに興奮している竜の少年を一瞥して、湯婆婆は再びほくそ笑んだ。

 …見せてやるさ、世の中の厳しさを。

 この、甘ったれた竜のぼうやに。




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