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□笑い方は忘れてしまった
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 この異常なまでの猛暑は、早乙女乱馬にとってはそれ程の問題でもなかった。彼の務める会社では冷房が惜しみなくフル稼働されていたし、デスクワークに勤務時間のほとんどを費やす彼にとっては、汗を掻くほどのくたびれ仕事をすることも皆無だったからだ。

 真夏だというのにスーツをきっちりと着こなし、額に汗の一つも見せず、涼しげな短髪を時折冷房の風で揺らしながら、無表情でパソコンと向かい合う乱馬。

 よもや彼が、真面目に仕事に勤しむ優秀社員として名をはせていようとは。

 ひと昔の彼を知るものであれば到底信じられなかっただろう。

 
 「早乙女さん、この資料の確認お願いできますか?」


 ひとりの女子社員が差し出したプリントの束に目もくれずに、乱馬は生真面目に整頓された机の上をおもむろに指差す。


 「…そこ、置いといて」

 「はい、わかりました」


 指示された箇所に書類の束を置くと、女子社員はちらりと乱馬の横顔を見遣った。

 端正な顔には、石のごとくどこまでも感情がなかった。電子機器の青い光に照らされながら、その瞳は延々と無意味な文字列を追っている。

 
 「…まだ何か用?」


 やはり女子社員をちらりとも見ずに、乱馬が一定のトーンの口調で言った。

 暗に「邪魔だ」というニュアンスが含まれているのを察知し、女子社員は慌てて頭を下げると自分のデスクへと戻っていく。





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