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□天が落ちてきたら
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 女子大生はなかなか忙しい。勉学に励むだけでなく、高校までとは明らかに異なる他人との相互関係に身を投じなければならない。

 もともと内気な性格の千尋は、合コンやコンパといった類いの催しものは苦手なのだが、人付き合いというものはある意味勉学よりも「重要視」されていることを彼女自身もよく知っていたため、結局ずるずると引きずり込まれて行く羽目になる。


 「はあ、疲れた…」


 精神的にも肉体的にも、だ。俗世界とは何故にこんなにも一人の人間をがんじがらめにするのだろうか。

 シングルベッドに仰向けに倒れ込み、千尋はちらりと大きなベランダ側の窓の外を見上げた。


 「…今日は月が随分と大きいのね」


 ガラリ、と音を立てて、部屋と外界とを隔てるガラスの仕切りが押しやられる。

 暑い夏の夜。心地よい風など入ってくるはずもなく、ただ肌に纏わり付く不快な暑さがあるだけだ。

 それでも千尋はベランダに出て、柵に寄り掛かって空を見上げた。マンションの十二階だから、地上で見るよりずっと空が近く感じられる。


 「空って広いのね。わたしなんて、こんなにちっちゃい」


 見上げる月は、ほのかに淡く美しく、月光を千尋の元へと送り込む。

 千尋はこうして空を見上げるのが好きだった。小さな下界で、がんじがらめにされる日々から解放されるかのようで。

 手にしていたミネラルウォーターのボトルを傾けながら、ボトルのなかの水を通して蜃気楼のように揺れる月を、千尋はどこか感傷的に見つめつづける。


 「…月にもっと近づいてみたいなあ。空の方から近づいて来てくれないかしら」


 自分で言った言葉に、なんて幼稚なんだろうと内心苦笑する。

 空が近づいたからと言って月に触れる訳でもないのに。地球という球体に直接触れることが出来ないように。


 「ああ、何言ってんだろ。今日は課題があるのに」


 空への憧憬の眼差しを無理矢理に薄暗い部屋のなかへと戻す。そうして月に、空に背を向ける。自由な空間はあくまで手の届かないものでしかないのだ、と割り切るように。


 「…もどろう」


 ひとたびこのガラスの仕切りの向こうに帰れば、また現実が待っている。それも逃げようのないもの。

 千尋は溜息をついてベランダの窓に手を掛けた。


 「…待っておくれ」


 ぴたり、とその手が止まった。背後から確かに聞こえた、ひそやかな囁き。

 どこか懐かしい、響き。





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