Inuyasha
□命をし全くしあらば球衣のありて後にも逢はざらめやも 4
1ページ/1ページ
帰路につくかごめの足取りは重かった。
アルバイトの帰りで遅くなってしまい、街灯の明かりの乏しい住宅街の細道は、もうすっかり夜のしじまに包み込まれていた。
生ぬるい夜風が、うつむいて歩くかごめの頬を撫で付けて、彼女の行末へと駆けてゆく。
時折ちらちらと真暗な背後のようすを窺いながら、かごめは小さく溜息をついた。
「─…何だったんだろう、あれ」
バスの中での出来事が脳裏に鮮明に焼き付いていた。
頭にこびり付いて離れないあの亡霊のような乗客の残像のせいで、薄ら寒いような気分からまだ抜け出せない。
肩に乗せられたあの手が、今もまだそこにあるような気すらした。
思わず背筋が凍りつき、かごめははたと立ち止まる。
両の肩に何もないのを確かめるように、怖々と見遣った。
「幽霊、だったのかな……でも、あの爪」
──あの爪は、妖怪のものだった。
嫌な予感がか細い線香からあがる煙のほうに、仄かにかごめの心中で浮かび上がってくる。
あの爪をどこかで見たことがなかっただろうか、と。
問い掛けてみてますます、予感は煙のように朧気なものから、はっきりと形を成すように思えて、かごめはぶるりと戦慄した。
なぜ、あの亡霊のような乗客は、かごめが巫女であることを知っていたのか。
金縛りを解くことのできる神通力を彼女が有していると、まるで初めから知っていたかのような口ぶりだった。
「あの頃」の、五百年前を旅していた頃のかごめを知っているものなければ、分かるはずもないことなのに。
「違うわよね、まさか─…まさか、あいつがそんなこと…」
──犬夜叉が、あんな風に私を怖がらせるはずがないもの。
心に刻みつけるように神妙に頷いてみせる。
そうしてかごめは再び、心許ない街灯の明かりを頼りに家路を急ごうとした。
一歩踏み出したとほぼ同時に、かごめの真上から仄かに照り付けていた街灯の明かりが、何の前触れもなしにふっと掻き消えた。
まるで蝋燭の火が、誰かの零した刹那の吐息で消されたかのように。
月明かりも星明かりもない夜空の下、かごめの歩く細道はまたたく間に黒檀色に染まる。
「──え、なに!?」
驚いて一歩後ずさったかごめの右手首を、氷のように冷たい手が強く掴んだ。
短い悲鳴が一瞬、全てを被い尽くす闇を引っ掻くようにして響く。
掴まれた腕を引こうとしたとき、かごめの鼻先を不思議な香りがふっとかすめた。
まるで沢山の花を燻したかのような匂い。
──そう思った瞬間ゆらり、とかごめの身体が前に傾く。
力強い腕が傾いたかごめの身体を受け止めた。
凍てつくようにつめたい腕だった。
振り解きたくとも、身体に力が入らない。
目蓋の重さに耐えかねて閉じかけたかごめの瞳に、闇の中で彼女を見下ろすものの姿がまるで影絵のように映った。
笑みにひずむ紅緋色の口元だけが、真暗なその顔の中でいやに鮮烈だった。
To be continued...