Inuyasha

□命をし全くしあらば球衣のありて後にも逢はざらめやも 2
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青く萌ゆる葉桜の枝々が街のあちこちをあやどり始めた、春も闌(たけなわ)の卯月の暮れ。

日暮神社の朱塗の鳥居のもとに立ち眼下に広がる街の景色を見晴かすかごめの瞳を、御神木の梢から風で飛ばされた新緑の小葉が幾重にもなって緩やかに通り過ぎていった。

急な勾配の果てを見下ろせば、ぬばたまの瞳は遠いなにかを追うかのようにして視線をさ迷わせる。

柔らかに吹く風に乗って長く伸びた髪が宙に散ると、かごめは片耳に髪をかけて今度は雲ひとつない空に舞い上がる小さな葉を振り仰いだ。



「─…二十歳、かあ」



薄く引かれた艷やかな唇が、ため息を吐き出すように言葉を零した。



今年もまたひとつ、かごめは歳を重ねた。

こうして同じ場所に佇んだままでも時は彼女を待つことなく、変わらぬ速度で刻々と秒針は刻まれてゆく。

そうして時は巡り巡って、セーラー服がブレザーになり。ブレザーは流行りの私服に役目を引き継ぐことになり。

制服を脱ぎ捨てればもうそこに少女はいない。あとはただ、上り詰めた階段を徐々に降りてゆくだけ。

時渡りの少女はもういない。恐れを知らずに怪しの古井戸に飛び込み、遥かなる時空の流れを幾度となく旅したあの頃の少女は──もう、どこにも。



「……かごめ?」



呼び掛ける声に振り返れば母が柔和に笑んで彼女を見詰めていた。

今日は俄か雨の予報だから念のため持っていきなさい、と折りたたみ傘を手渡され、黙って鞄にそれを仕舞う娘を母は静かに見守った。



「思い出していたのね?──彼のことを」



ぴく、と背を向けようとしたかごめの肩が揺れる。娘の感情の機微を見逃さず、母は静かな口調で言葉を接いだ。



「時々、そうやってとても遠い目をするから」

「─…わかるの?」

「もちろん。あなたの母親ですもの」



見守る視線から逃げるようにしてかごめはうつむいた。石畳を見下ろしたまま、数秒の沈黙ののちに彼女はくぐもった声で心情を明かす。



「私、時間が過ぎていくのが怖い。一緒に過ごした過去がどんどん遠くなっていくみたいで、怖いの」

「かごめ…」

「こうやってひとつひとつ歳をとっていくごとに、あいつが私を見付けられなくなっちゃうんじゃなかって。─…ううん、それ以前に、あいつが本当に私に会いに来てくれるかすらわからない」



わだかまる不安を抱えたままかごめは固く目を瞑る。

そっと歩み寄った母に手を取られると漸く、震える目蓋が遠慮がちに押し上げられていった。

瞳の中で像を結んだ母の包み込むように柔らかな笑みに、寒々とした心が僅かばかりに温まるような心地がするも、またすぐに隙間風が入り込んでくる。



「そんなの、かごめらしくないと思うわ」

「…え?」

「かごめ。あなたは、彼を信じてあげられないのかしら?」

「……でも、あれから五百年も過ぎてるのよ。もし私を覚えていてくれなかったら、って思うと、」

「──信じてあげられない?彼は、あなたを忘れてしまったと思う?」



かごめは閉口して再び視線を落とした。

時が流れたせいか、少女だった自分がどう彼を想っていたのかを、むしろ自分の方が忘れかけてしまっているような気がした。



「わからない。でも、私はただ─…会いたい」



渡ることのできない時の流れ、たどり着けない場所。

遠くて手が届かなくて、それでもいつも心の奥底で求めてやまない、何にも代え難いぬくもりがあった。



──瞼の裏で、閉じてしまいそうな思い出を鮮やかに彩る唐紅色をした、水干の袖が風で緩やかに踊る。

流れる銀髪のひと筋すらもまぶしい、過ぎ去った昨日のそのまたずっと向こう側、遥か彼方に邂逅した異形の少年。



「会いたい、犬夜叉─…」



縁を結んでくれた御神木が唸るかのように風鳴りに共鳴する。

かごめは母に背を向けると、無言のままに勾配の急な階段を駆け下りていった。

遠ざかる娘の侘しく小さな背を見送る母の口元に、ため息ひと片。突如として増した風の強さに、それは呆気なくかき消される。







To be continued...

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