novels 3

□U
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I'll bite the bullet and let her go

...for the sake of her.


(覚悟を決めて、あの子を手放そう。…あの子の、ために。)







「あのな。醒めない夢なんてないんだ」

「そんなの知ってるよ」

「じゃあ何故起きたくないなんて言うんだ」

「…仕方が無いだろ。身体が言うことを聞かないんだ…」



チンツ張りのソファに仰向けに横になり、額に手を当てる秋山を見下ろして、同僚の梶は嘆息する。

束の間の仮眠をとっていた秋山が、定時が来ても起きようとしないのだ。

生真面目なこの男の実に珍しい有様に、梶は内心困惑しながら、机を挟んだ向かい側のソファに腰を下ろす。



「…で?また、『彼女』の夢でも見たか?」

「……。分かるか」

「お前、さっき…笑ってたからな」



梶は見ていた。

平生無表情の朴念仁で通っている秋山の、実に幸せそうな微笑みを。

そして、彼自身が置いたアラームの大音量が鳴り響いたとき。

…微笑みがまるで乾いた砂の如く、さらさらとこぼれ落ちていったことも。



「…起きなきゃいけないのはわかる。でも、身体が動かないんだ…まだ眠い」

「ははは、お前それ重症だな…」



笑い事ではないのだ。

精神は、肉体に作用する。

かつて、心理学をかじっていたいたという秋山自身が言う通りに。



「お前、本当馬鹿だよ…そんなに好きなら、何故手放したんだ」

「…そうさ、俺は馬鹿だよ。その上どうしようもなく臆病者なんだ」



秋山は掌で目を覆った。

蛍光灯が寝起きの瞼には些か眩し過ぎたせいか、はたまた別の理由からか。

見ている梶には判然としなかった。

ただ遠い追憶にひた走ろうとして苦悶する、一人の愚かな男の姿が、そこには在った。



「…怖かったんだ、あの子がいつか俺に愛想尽かすんじゃないかって。だからこれ以上のめり込む前に別れようと思った……でも、」



秋山の顔が微かに歪んだのを、梶は捉えた。

見てはいけないものを見てしまったような複雑な感情に苛まれ、苦悩する男から目を逸らす。



「…離れたほうがいいなんて、そんなの詭弁だった…」



天才と馬鹿は紙一重。

一見天才に見えるこの秋山という男は、実は途方も無く馬鹿なのだろう。

不器用で、臆病で、先を読みすぎる。

だから傷付けるのだ。

自分自身も、そして恐らく、守りたかった唯一の存在も。



「…せめて夢見てる間くらいは…」



秋山の声が確かに震えた。

この男は、泣きたかったのかもしれない。

梶は背を向けながら、小さく嘆息した。



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