novels 3

□Z
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ひんやりと冷たく清冽な水道水の感触が肌を撫ぜる。

十分に水を含んだハンドタオルを手首に力を籠めて絞りながら、直は小さく歎息した。


自分のベッドの上で力無く病臥せざるを得なくなってしまった、秋山。

その火照った額に凍て付く冷たさのハンドタオルを乗せてやると、瞬間その眉の端がぴくり、と小さく動いたような気がした。


思いがけない公園での邂逅の後。

勿論その余韻に浸る心の余裕など有ったものでは無く、歩くことすらままならない秋山を何とかタクシーに乗せ、自宅まで連れて帰ったのだ。

半ば引き摺るようにして。

発熱と特有の怠さ故に思うように身体に力が入らず、直にしな垂れる秋山を放っておくことなど、勿論彼女には到底無理なことだった。



「一体どのくらいの間、あの公園にいたんですか…?秋山さん…」



浅く呼吸する秋山を起こさないようにと、殆ど吐息だけで投げ掛けた問いは、部屋を包むしじまに呑み込まれて消化される。


薄暗い公園のベンチに傘も差さずに座して、自分を見つけた時の秋山の表情と様子が頭を擡げた。

…あの瞬間、自分も胸躍る感覚を知った。

また一段と精悍さの加えられた秋山を見下ろしながら、直は早まった鼓動を抑え込む様に胸に手を押し当てる。



「私、行くなんて一言も言いませんでしたよ…。あんな雨の中で、こんなに具合も悪くなってまで…」



……何故。

何故、あなたは私を待ってくれていたのですか。

何を思って、あの約束を取り付けたのですか。

私が来ると言う確証なんてなかったのに。



「お願いだから、無茶はしないでください…っ」



じわりと瞼に熱が広がり、直は唇を噛み締めた。

心臓が張り裂けんばかりに驚愕し、そして憂慮した。秋山が一切の重みを彼女に預けてきた時に。

熱を帯びた彼の頬をそっと撫ぜながら、直は求めて求めてやまなかったその顔を見下ろして、ただ表情をひずませた。


……好き。今までに出逢った誰よりも。

その瞳にもう一度映りたいと願っていた。その声でもう一度呼んでほしいと。

触れてほしい、抱き締めてほしい。

何処にも逃がさないで、もう。

…そう切願してしまう自分の、封印した筈の本心が空恐ろしい。


どうしてこんなにも好きで堪らないんだろう。

どうしてこのひとでなければいけなかったんだろう。

分からない。

けれどただきっと、理由を模索することなんて無意味なだけ。







どの位の間、そうして彼の傍に居たのだろう。

直は潤んだ目尻を手の甲でそっと拭うと、既に熱を移されて冷却の意味を成さないハンドタオルを秋山の額から取り上げた。

その額に掌をそっと当ててみると、未だ確かな火照りが伝わってくる。

熱がまだ下がっていない。

直は秋山の体調の不備を思って、静かに瞳を伏せた。



「タオル、また冷やしてきますから…」



微かな声でそれだけ言うと、直は立ち上がってキッチンに向かおうとした。

否、しかしその右腕が、何かに確かな力で引き戻される。

突然のことに驚倒して瞠目した直の鼓動が、不自然に跳ね上がった。

掴まれた手首に火照りを感じる。

微かな呼吸音が聞こえてくる。


緩慢な動きで、直は恐る恐る後ろを振り返った。

掴まれる力が一段と強くなり、直にもその火照りが伝染して侵食し始めるようだった。

勁く熱の篭った眼差しが、真っ直ぐに注がれている。

直自身の呼吸音が、不規則に乱れた。



「直……」



かそけき月光であるかのようなおぼろげな声。

しかしそれとは全く裏腹に、手首に振り切ることの到底出来ない強靭な力が加えられ、直の身体は造作もなく後方に傾いた。


…包み込むのは、熱情か。

こんなにも熱いのは、彼の発熱の所為なのだろうか。

それとも。


目を開ければ、真っ先に彼の視線と交錯した。

その瞬間、もう何がどうなってもいい、と。

そうとすら思えた。





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