novels 4
□後宮からの誘拐
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――古典音楽の曲名より
*パラレル
荘厳な古城の内奥には、男子禁制の区域が存在した。
いわゆる『後宮』である。王の寵愛を受ける側室達が犇めく女の園。
しかしその後宮には、ただひとりの側室だけが暮らしていた。
彼女の名はあかね。王が唯一愛する美姫である。
「はあ…外はどうなってるのかしら」
下町から城に連れて来られて以来、優雅な暮らしは得たものの自由を失ったあかね。
その美しいかんばせに浮かぶのは、憔悴と憂いの表情ばかりである。
王は、優しくて聡明だ。しかし、何かが違うとあかねは感じていた。
「…あたし、何のときめきも感じない…」
初めて触れられた時、初めて異性を知った時。惑うばかりで、胸の高鳴りも何も感じられなかった。
寵愛を一身に受けているとはいえ、あかねは王の心を受け入れることも、自分の心を捧げることも出来なかった。
「…恋って、もっと素晴らしいものだと思ってたのに」
夢見ることは愚かだろうか。身を焦がすような激しい恋をしたい、と。胸の高鳴りを感じてみたい、と。既に王の手がついた自分が。
叶わぬ願を胸に、そっと目尻の涙を拭った、そのとき。
「……っ!」
「…静かに、」
首筋にぴたり、と押し当てられた冷たい刃先と、耳元での牽制の囁き。
ぶるり、とあかねの肩が震えたと同時に、その身体が何者かに抱え上げられた。
「…貴方は、誰、」
「…静かに。黙ってろ」
唐突に熱く唇を塞がれ、あかねは目を見開いた。ぼんやりとほの暗い月明かりに照らされて、意志の強そうな瞳とかちあう。
どきり、と鼓動が聞こえた。
しばし、見つめ合った。一秒。いや、五秒。それ以上だったかも、しれない。
端正な顔をした少年が、不意に、はにかむように、笑った。そしてその笑顔をおさめて、今度はあかねの瞼に唇を落とす。
「…気が変わった。お前のこと、連れていく」
首筋にあった鈍い輝きがおさめられた。あかねの華奢な身体を抱き上げ、少年はまた、笑う。
「俺の名は乱馬。お前、俺と一緒に来るか?…まあ、嫌だといっても連れてくけど」
今までに感じたことのない感情が込み上げてきた。胸の高鳴り、これを、ときめきと、呼ぶのかしら。
これが、今まで夢見てきた、ものなのかしら。
落とされた熱い口づけを、あかねは拒まなかった。
その夜後宮からたったひとりの側室が消えた。
総てを知るは、月光のみ。
されど月光は、何も語りは、しない。
end.