novels 4

□わたしをころがしたあなた
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愛してくださいだなんて、そんなおこがましいことは言わない。



「私、いつも秋山さんの背中を追い掛けてばかりですよね…」



反応を示してくれないと分かっているのに背中に投げ掛けた言葉は、情けないほどにか細かった。

その黒のタートルネックが良く似合う、すらりと伸びた体躯をしているその人。

本当は一度も、その背に追い付いたことは無かった。きっと彼が決して追い付かせなかったんだと思う。



「秋山さんはいつだって、私の前を歩こうとするんですね。──私も秋山さんと並んで歩きたいのに」

「……」



完全にうわの空の様子。今、私の存在は霞か煙か、それ以下なのかも知れない。けれど妙なしぶとさを得た私は、しつこく食い下がる。



「私、秋山さんのこと信じませんよ」



足元の小石を爪先でこつんと蹴ると、弾んで弾んで、黒い靴の踵に正面衝突して、こてんと路傍にひっくり返って動かなくなった。

ぶつかったら起き上がれない。七転八起なんて言葉、きっと存在しない。そう思うと足が竦んで、動けない。



「いきなり嫌いになった、なんて。──おかしいじゃないですか」



こんなに現実味に溢れた状況下にいて、まだこれを嘘だと言える私は、案外打たれ強い。

立ち止まる黒い背からは何も窺い知れないけれど、私は都合良く解釈することにした。──あなたは迷ってる、立ち止まってる、そうでしょう。



「私は、諦めませんから」



動かない足を叱咤する。ぎこちなく走って、立ち止まる人を追い越して、向き合って。顔を覗き込む。泣きたい衝動をあと一歩のギリギリのところで堪えて。

好きという言葉すらも届いているか分からない。けれど転がったままは嫌なんだと思う。何度転んでも、何度でも起き上がって──いつかその手を差し伸べてもらいたくて。

自分の心にだけは嘘をつきたくない。いつまでも馬鹿正直でいたい。──どうかこのままで、馬鹿正直なままでいさせてください。



「──君は、どうしてそんなに俺の側に近寄ろうとするんだ?」



目にちらつく困惑の色。気付いていながら、笑ってその手を握り締める。──この人、何も分かっていない。笑みは口元で微かに凍り付く。誰よりも聡くて、誰よりも無知なこの人は、肝心なことだけは突き詰めようとしてくれない。



「その理由を聞かなくても分かってもらえるようになるまで、私は諦められませんよね…」



信じることよりも疑うことが時に善となりうるのだと提唱する彼は、きっと私の本心が信じるに値するかを決め兼ねている。

目が合うとすぐに逸らされた。目を真っ直ぐに見てくれなくなったのは、いつからだろう。



「──ごめん」

「…いいんですよ。本気じゃないって信じてましたから」

「それは…、自信?」

「自信、とは少し違うような気もしますけど。きっと…私が、そう信じたいだけなんですよね」



片恋は楽じゃない。けれどこの優しい手の感触を独り占めしたくて、引くに引けないでいる。

愛してるが貰えないなら、好きでもいい。好きも貰えないなら、放っておけないでもいい。そう思っていた。

けれど今となっては、そんな望みにすらも希望を持てなくなってきている。



私は何が欲しいんだろう。当て所ない問い掛けが回り始める。とうに背を向けて歩き出した彼の手は、ポケットの中。

…きっと、これだ。私が欲しいもの。すぐそばにあって、とても遠い。転げた石を屈んで拾い、腕を振って投げる。狙った背には、届かなかった。放物線を描いて、石は道端の茂みに音も立てずに落ちる。

投げる前から届かないと知っていた。あの人の歩くスピードは速くて、私には追い付けない。多分、私のやっていることはとんでもなく無謀なことなんだろう。石を投げた手を強く握り締めて蹲る。小さくなっていく背を見ているのは、もう疲れてしまった。



──あなたからこの手を握ってほしい。






end.
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直→秋山のお話。秋山は疑心暗鬼になっていて、どうしても突っぱねてしまうことしか出来ない。

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