novels 2
□まよいびと
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思い出の遥か遠方、あの子の笑顔がひっそりと咲いていた。
輝かしいまばゆさを放っている訳ではないのだけれど、それは確かにそこに根を生やし、しかと根付いている。
例えば細やかな愛情というものこそが養分だったのなら、不器用な自分は全くと言って良いほどそれを与えることが出来なかった。
それなのにあの笑顔は決して枯れることが無い。
手塩にかけてやった訳でも無いのに、いつまでもみずみずしく。
儚く見えてその実変わらない勁さで。
振り返る自分を優しく見守っている。
「君は俺なんかといても、何も良いことなんてなかっただろう。どうして笑っていられる」
追憶に問い掛けたところで返答を得られる筈も無いのだが、聞かずにはいられずつい口に出してしまった。
真っ直ぐな笑顔。
正視するに耐えられないと、あの時も自分は無意識下に歯軋りしたのだった。
無力感と罪悪感を痛いほどにこの身に受けて。
『いつか離れ離れになる時が来たら、きっと笑顔でいようと決めていました』
そう言い切りその言質を最後の瞬間まで貫き通したあの子は、やはり勁い。
すべてをあの笑顔の下に押し込めて。
彼女と自分の記憶の一番最後を締め括る地点に、悲愴がちらとでも残らないようにと。
『笑顔の私だけ、時には思い出してくださいね』
あの地点に、君は深く根を下ろして佇んでいる。
沢山見せてきた色とりどりの表情はすべて遮って。
振り返る自分にあの「笑顔」だけを見せるべく。
終点さえ美しいのなら、もう自分は苦しまないと信じていたのだろう。
「……ごめん。直」
ごめん。
笑顔を作らせてごめん。
笑顔で終らせてごめん。
君だけに、自分達の最後を綺麗に纏め上げることを強いたのは自分自身だ。
では、あの子が振り返った時にある自分は、どんな顔をしているのだろう。
澱んで広く見渡すことの出来ない夕空を見上げながら、当て所なくさ迷い続ける感情にただ翻弄されているしかなかった。
終点に咲く笑顔。
否、あれは終点などでは無かった。
寧ろあの時あの地点から、また何かが始まったような気がする。
そして始点にも終点にも辿り着けない自分は、こうして立ち竦んで動けずにいる。
end.