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□The damsel in distress V
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「どうして、あなたが……」
 施錠されたドアを背に立っている人物を、直は茫然と見つめた。
「お久しぶりですね」
 穏やかな口調でその人物はいう。軽く会釈などしてみせるそのさまは、一見すると物腰のよい好青年のそれだ。
 ……しかし、それはあくまで虚飾。どす黒い内面を覆い隠すための。
 そのことを、直は嫌というほどよく知っている。
「あなたとお会いするのは実に一年振りだ。私はこの日を待ちわびていましたよ、――カンザキナオさん」
 直は唇を噛んだ。
 ――ヨコヤノリヒコ。
 彼が嫌な微笑を浮かべながら、真っ直ぐに直を見すえていた。
「……何をしに来たんですか?」
 直は怒りにぶるぶると肩をふるわせた。
 その様子を面白そうにながめているヨコヤがいる。
「今さら私に何の用ですか?」
「……」
「答えてください、ヨコヤさん」
 ヨコヤは靴も脱がずにずかずかと、直の部屋へ上がってきた。
 直は思い切り眉をひそめる。
「何をしに来たのか知りませんが、勝手に人の家に入ってくるなんて、最低です」
「最低、ですか」
「当たり前じゃないですか。今すぐ帰ってください!」
 しかしヨコヤは、直の言葉など全くもって意に介さない様子だった。
 部屋をぐるりと見回して、また直の顔をとらえる。口元に嫌味な笑みを浮かべている。
「それにしても、居留守を使うとは失礼な人ですねえ」
 猫なで声でいった。
「あなたは両親から礼儀というものを教わらなかったのですか?」
 一瞬言葉に詰まる直だったが、すぐに反論した。
「人の家に勝手に、しかも土足で上がりこんでくるような人に、礼儀についてとやかく言われたくありません!」
 しかし、ヨコヤの余裕の笑みはくずれない。
「鍵をかけ忘れたあなたが悪い。だからみすみす私のような者の侵入を許すのですよ」
「……」
「自業自得ではないですか」
「……普段はきちんと閉めてます!」
 直はきっとヨコヤを睨みつけた。
「用がないならもう帰ってください。今はあなたの顔なんて見たくないですっ」
 しかし、ヨコヤは踵を返そうとはしない。薄ら笑いを浮かべたまま、ただじっと直を見すえている。
 そもそもこの男はいったいなぜ自分のもとに現れたのか。ライアーゲームトーナメントが終わり、因縁はとうに断ち切れたはずだったのに。
 今さらになって、なぜ。
 直は次第に不安になってきた。
「帰ってください。帰らないなら、私……」
「『アキヤマ』を呼びますか?」
 ぎく、と直の身体が強張った。
 ……秋山さんは、もう。
 けれど、そのことを知られない方がいいような気がする。
 動揺を悟られないように、直は笑みをつくろいながらいった。
「そ、そうです。秋山さんを呼びますよ!」
「……」
「あなたは秋山さんには絶対に勝てないでしょ。だから……」
「――本当に?」
「……え?」
 ヨコヤが小首を傾げている。
 不意をつかれた直は、思わず口をつぐんだ。
「――あなた本当に、秋山を呼べるんですか?」
 薄い唇から発せられた言葉は、妙に確信めいていた。
 まるで何もかもお見通しだというような口調。
 言葉を失った直を見て、ヨコヤの目が細められる。
「秋山は来ないでしょう?――だって彼は今、海外にいるんですから」
 直は嫌な鼓動を感じた。
「な、なに言ってるんですか、ヨコヤさん」
 口の中がからからに乾いている。
「秋山さんがどこにいるかなんて、あなたに分かるわけ……」
「本当に、分からないと思いますか?」
 ヨコヤは片方の眉を持ち上げた。
 薄ら笑いを崩さない、かつての天敵を見つめながら直は自分で自分を抱き締める。
 彼女にとって、この状況がいい状況のはずがなかった。
 ライアーゲームで対立しあったこの男には、恨みに恨まれているのだから。
 ……それに、さっきからこの人のこの態度はなんなんだろう、と直は不安に思う。
 まるで、勝ち誇ったかのような――。
「私はよーく知っていますよ。あなたが敬愛してやまないアキヤマシンイチが、今どこにいるのか。なぜそうなってしまったのか」
「――どういう意味ですか?」
 直が目を見開いた。
 一歩、ヨコヤが踏み出した。
「頭の鈍いあなたのために教えて差し上げましょう。……この私が、彼を海外に飛ばしたんですよ」
 それは残忍な悪魔の宣告のように、直には聞こえた。
 ……私が飛ばした、って?
 どういうことだろう。いったい何の冗談だろう。
「何言ってるんですか、ヨコヤさん」
「……」
「そんなハッタリ、通用しな……」
「ハッタリなどではありませんよ、カンザキさん」
 ヨコヤが出来の悪い生徒に教えるような口調でいった。
 直は震える足でにじり下がる。
「この一年、彼の就職をことごとく邪魔してきたのはこの私です」
「――!」
「そして今回アキヤマが海外に飛んだのも、私が企業を介して彼を追いやった結果です」
 あまりのことに直は息をのんだ。
「海外に行くなら雇ってやる、といって行かせたんですよ。その程度の根回し、私にはいとも容易くできてしまうのです」
「そ、そんな卑劣なこと……!」
「ああ、世間知らずのあなたには分からないかもしれませんねえ。――でも世の中そんなものですよ?」
 ヨコヤは冷笑した。
「人間とは権力にひれ伏す生き物なのです。……カンザキさん。あなたが理想とする『きれいな世界』は、所詮ただの虚構だ」
 直は茫然と繰り返す。
「……虚構?」
「そうです。あなたの理想論などどこに行っても通用しない。ただのまやかしです」
 また一歩、ヨコヤが踏み出す。
 直は身を竦ませた。
 ――頭のなかで警鐘が鳴っている。
「アキヤマは弱者、そして私こそが強者だった。ご覧なさい、これが社会の真理なのです」
 ……秋山さんが、弱者?
 直は視線を険しくした。身体の内で怒りがみなぎってくる。
「――ヨコヤさん、あなたは最低な人間ですね」
 一生懸命に働き、どんなに疲れていても、そんな表情はみじんも見せなかった秋山の姿が瞼の裏に浮かんだ。
 ……こんな人に、絶対に負けてはだめ。
 突如としてそんな思いに見舞われる。
「あなたは、どうしてそこまで秋山さんに執着するんですか。――そんなに、秋山さんに負けたことが悔しいですか?」
 だからあえて、直は相手の痛いところを衝いた。
 自尊心の高いヨコヤのことだ。ライアーゲームでの敗北を掘り返されれば相当こたえるはず。
 ――言論で打破したい。
 かつて秋山がそうしたように、自分達は決して弱者ではないことを証明したい。
「……私が、アキヤマに執着?」
 ヨコヤが眉をひそめた。
「そうです」
 直は拳を握り締める。
「あなたはライアーゲームが終わったのに、まだ執拗に秋山さんに付きまとってる。でも、今更なにをいっても、負け犬の遠吠えです――!」
 ヨコヤが小刻みに震えながら俯いた。
 その様子を見て、恐らく相当の打撃を与えたのだろうと直は推測する。
 ようやく息をつく余裕ができた。
「見ての通り、ここに秋山さんはいません。どうぞお引き取りください」
 直は玄関に向かおうと、ヨコヤのそばを通り過ぎた。
 突如として、物凄い力で二の腕を掴まれた。
「――な、なんですか?」
 不意をつかれたことで、直の声に揺れが走った。
 腕がぎりぎりと締め上げられる。
 直はおののきながらヨコヤを見た。
 俯いたまま、ヨコヤはいまも小刻みに震えている。
 しかし、その震えは怯えや尻込みからくるものではなかった。
 ――彼は笑っていた。
「あなた……、本っ当に何も分かっていないんですねえ……」
 笑いの合間にヨコヤはいう。暗い喜びに満ちた声色だった。
 直は冷や水をあびたような気分になる。
 手を振り払おうともがいた。もがけばもがくほど、締めあげる力はかえって強まった。
 ……怖い。
 額に冷や汗が浮かぶ。
「私がアキヤマに固執?勘違いもはなはだしい」
 ヨコヤは声の調子をぐっと落とした。
「私が固執しているのは、アキヤマではない。――あなたですよ、カンザキナオさん」
 ヨコヤが顔を上げた。
 まるで、獲物を追い詰めた狩人のような目をしていた。





To be continued

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