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□幻聴に振り返る
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潮騒の中で水平線のそのまた遥か遠くから打ち寄せてくる白波が、透き通った青色の水に被さるようにして揺らいでいた。



誰もいない砂浜に佇むものはただ一人。細かな白砂を覆い尽くしては引いてゆき、そしてまた砂浜へと打ち寄せてくる波を、黄金色の眼で静かに見下ろす妖の姿がそこにあった。

長い銀髪を背に流した妖が徐に、握り締めた拳をそっと開く。開かれた掌の内には、ひと束の艷やかな黒髪がおさめられていた。



妖はもう一度力を篭めて拳を握り、髪のひと束を掌の内へと閉じ込めた。刃先の鋭い犬歯が血の滲みそうなほどに唇を噛んだ。握られた拳は微かに震えている。



──このままずっとどこまでも続いてるように見えるのに、海にも終わりがあるんだね。



幼子の手を引いてこの海辺を訪れたのは果たしていつのことだったか。まだ十にすら満たない女の童が妙に悟りきったような侘しげな顔をして呟いた、あの晩夏の日。



並んで見晴かした水平線は、雲一つない空と穏やかな海との間に境界線を引いていた。同じ色を分かち合いながらも相容れぬ、混ざり合えぬ者同士を分かちながら。



──りん達は海の終わりに立ってるんだね。ここで海が行きどまっちゃうんだね。



沓の爪先を押し寄せてきた白波が浸す。行き止まりに独り佇む者が長い睫毛を伏せて、拳を握った手を水面へと近付けた。

ゆっくりと、水面上で拳を開いた瞬間、黒髪の束を攫うようにして引いていく白波。



「お前はそのまま行け。…りん」



掌を冷たい海水に浸したまま、妖が誰にともなく静かに囁いた。表情にも声にも、色は無い。

ただか細い雫が白い頬をたった一度だけ伝い、打ち寄せた白波に音も無く弾けて消えた。









背を向けた刹那、名を呼ぶ声が聞こえたような気がした。潮騒に耳を澄ませるまでもなく、それは打ち寄せる小波の音であると知っていた。

それでも、妖は振り返る。水平線を遥かに見晴かし、呼ぶ声などもうどこにもありはしないのだと、己に言い聞かせながら。



白波に攫われて辿り着き、砂浜に取り残された砂に埋もれた漂流物たちが、晩夏の陽を浴びて弱々しく光を放っている。

行き止まりに来るということはそういうことなのだろうか。──あの娘の一部を海へ放ったことは、それを此処へ棄て残してゆくということなのだろうか。



否、と妖は心の内で静かに否定する。「棄てた」というよりもむしろ「放した」という方がしっくりとくるような気がした。

当て所なく海原をさ迷い続け、水平線と行き止まりとに阻まれる白波が、攫った漂流物を道連れにすることをやめて砂浜へ残し、去ってゆく。

今しがた打ち上げられた桜貝が海水に濡れたまま陽を受け、艷やかに光っていた。それは娘の淡く桜色に色付いた爪によく似ていた。



──殺生丸様。

また水平線の遥かから聞こえるはずのない声が聞こえる。耳を擽る静かな漣の音。

振り返る背にいつの日かに付けられた桜貝の爪痕が、呼応するように微かに疼いたような気がした。

けれどそれもきっと、幻でしかないのだろう。







end.
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