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□涙で濡らして
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「……結乃?──そんなの、親族にいたか」
筆の動きを止められ、少し不機嫌な声が言う。
「皓子さまの妹君のお嬢様でございます。
最後にお会いになられたのは昔の…ことでございますので。
お覚えでなくても無理はございません。」
答えるのは黒のシルクのスーツに身を包んだ初老の男。
─お嬢様、ね……
玉の輿にのった女の姪に使うほどの言葉か?
不機嫌な声の主、内心で思う。
「…全く覚えてないな。
まぁ、もともとこの屋敷は俺のものじゃないし、
ましてや榮督(エイトク)さまの頼みとあれば断る理由も無いだろう。
好きに過ごさせるといい。」
そう言って不機嫌な声は普段の落ち着きを取り戻し、再び筆を走らせる。
そして初老のどうやら使用人であるスーツの男、
一瞬、考えるような素振りを見せたが、すぐに一礼する。
「──かしこまりました。喬人(タカト)さま。」
「…私、こんなおっきいお屋敷に来てたことあったの?
信じられない……」
山梨の中心地から少し逸れた道をゆく高級車が一台。
その中では高校生と思しき少女がひとり、感嘆の声を上げていた。
眼前に広がるのはとても私有地とは思えぬ広さの庭園、
そして遥か遠くに見える邸宅。
「ふふ、覚えていらっしゃらないのも当然でございましょう。
何せ最後にいらっしゃったのは結乃(ユノ)さまが4歳の時。
優人(マサト)さま、喬人さまが18歳でいらした時ですから。」
車を運転する、40代半ばぐらいの中年の男が言う。
「…変なの。こんなに大きなお屋敷のことは覚えてないのに、優くんと喬くんのこと、大好きだったのは覚えてるの」
懐かしむように微笑(ワラ)う少女。
「──結乃さまは本当にお二人に懐いておいででしたから…。
優人さまは現在は東京のグループ本社の方においでですが…
喬人さまは今もこのお屋敷においででございます。
これからずっと此処で暮らすことになるのですから、久しぶりにゆっくりとお話になると良いでしょう。」
「──そうですね。」
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