story

□一生敵わない
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 リクオは母・若菜の部屋で、文机に向かっていた。宿題をするのに、なにかと妖怪たちが立ち入り煩くする自室ではちっともはかどらない、という理由で。
「お母さん、じゃあ、ボク戻るね。」
 勉強道具をまとめて、リクオは顔を上げた。
「あら、終わったのね」
 繕い物をしていたらしい若菜が微笑む。会話はそれきりだった。
 リクオは優しい表情の母を見て、心が安らぐのを感じた。このところ宿題をする時に決まって母の部屋を訪れる本当の理由は、それだった。奴良組若頭という立場なのだから、実は人払いなどたやすい事。宿題を邪魔された事なんて、無いのに。
 産まれた時からたくさんの世話係に囲まれ、早くに母から離れてしまったリクオの、精一杯の甘えだった。
 立ち上がろうとして、リクオは体がざわめくのを感じた。
「? リクオ、どうかしたの?」
 リクオが表情を強張らせたのを見て、若菜は縫い物の手を止めた。
「あ…えっと、ね」
 母に、夜の姿を見せた事がないのに気付き。体の中のざわめきは、強い鼓動に変わっていく。
 母がどんな反応をするのか、怖い?
 いや。
 きっと大丈夫。
 なにより、母に見ておいて欲しかった。

 纏う空気が変わった息子に、若菜は幾分驚いたようだった。
 透けるような銀髪が薄明かりに光り、目つきは射るように鋭くなる。リクオのまわりに妖気が立ち込めた。
「あらまぁ…、初めて見たわ」
 若菜の声は嬉しそうだ。夜の姿に変化したリクオはといえば、いったい何を喋ってよいのかわからず、押し黙っていた。
「なに照れてるの?かっこいいじゃない」
「…照れてなんか。この姿を見せてねぇなって思ったからよ。」
 あら嬉しい、と若菜はふわりと笑った。リクオはやはり照れ臭くて、母から目をそらす。
「カラス天狗とか、みんなから聞いてはいたけど、うん、お父さんにそっくり。無茶しそうなところもね」
「そんな事、」
「わかるわよ。」
 思い当たる事がないわけではなく、リクオは参ったなと頭を掻いた。母には何だって見透かされているのだろう。
「…敵わねえな」
 呟いて、リクオは腰を上げた。
「あ、リクオ待って」
 若菜は手を止めていた繕い物を急いで何針か縫うと、糸を切って綺麗に畳んだ。立ち上がりリクオに手渡す。
「リクオの羽織よ」
「オレの?」
 受け取りながらリクオは驚いていた。戦いで破れた着物は、てっきり下僕の妖怪が直しているものだと思っていたから。
 母が直してくれた事。単純にそれがただ嬉しかった。しかし言葉にするのはやはり照れ臭くて、羽織に目を落とす。
「…すまねぇ」
「あら、なあに、そんな言い方して」
「……ありがとう」
 目を合わせられないまま言い直すと、早速羽織を纏い、部屋を出ようと歩み出す。障子を開けてちらりと母を振り返ると、いつもと変わらず、優しく微笑んでいた。
「おやすみ」
 今度はリクオから声をかける。
「おやすみなさい」
 背中にその声を聞きながら、リクオは後ろ手に障子を閉めた。
 纏った羽織が温かい気がする。




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