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□cherry,sherry,blossom
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「よく見つけたな、こんな穴場」
 
鬼道は頭上に咲き誇る、見事な桜の木々に感嘆の言葉を漏らした。

妹から借りたというイラストの描かれた子供用のシートに、少し窮屈ではあるが二人腰を降ろし、来る途中で購入した弁当とツマミを傍らに――

静かな『花見』を慣行していた。

「途中までしか車入れないし、歩くからな」

隣に座る豪炎寺が、懐かしそうに目を細めた。
すぐに言葉が出てこなかったのは、豪炎寺の横顔のせいだった。何処か恍惚としたような、哀愁のような、幼いような、それでいて大人びたような。それは、鬼道の前で見せるどの表情とも異なっていた。

「――そうだな」
 
そう返すまでに、鬼道はたっぷりと時間を要した。
鬼道の返答に、意味はないように思えた。そう、投げたから帰ってくる反響のようなもの。
鬼道は視線だけでゆっくりと周囲を見渡した。
小鳥のさえずり。そよぐ風に木々が擦れる音。緑の匂い。花の香り。
ここには現実から切り取られた、ここだけの時間が流れているような気がした。不思議な空間だ、と鬼道は思った。

「あ、悪い」

言ってこちらに見せたのは、よく知る彼の姿だった。

「免許をとって桜が咲いたら、まずここに来ようって決めてたんだ。」

豪炎寺が腕を前へ差し出す。

「これは母さんの桜だから」

掌に、桜の花弁がひとかけら舞い降りた。

「……?」

豪炎寺の母親が病死しているのは知っていた。
そのために、豪炎寺の父親が医療関係に進んだことも。そしてまた彼も、そうしようとしていたことも。

「母さんは外が好きだった。自然が好きだった。中でもとりわけ花を見るのが大好きだった。」
「だけど、身体が弱い母さんはあまり長時間外に出ることが難しくて、ましてや人混みの中には連れていけない。だから、父さんは母さんの為にこの山を買ったんだ」

「……極端だな、豪炎寺家は」
「そうか?」
 
苦笑する。あの親あってのこの息子とは、まさしくそうである。

「だとしたら、俺となんか一緒に来るよりも、親父さんと一緒に来た方が――」

「それは嫌だ」
 
珍しく食い気味に、ぴしゃりと言い放った豪炎寺に少し鬼道は驚いた。

「どうした」
「父さんと来ると、凄い饒舌になって大変なんだ」
「へぇ、あの親父さんが?」
「あぁ……絶対に人前ではあんな面、とても見せられない」
 
本当に困った顔を豪炎寺がしていたので、鬼道はくすりと笑った。あの厳格そうな父親も、愛する人の前では全く別の顔を見せるのだろう。

「どんなことを語るのか、想像がつかないな」
「母さんの話をするんだ、もの凄く一方的に。俺の知ってる母さんの話も、父さんしか知らない母さんの話も――まぁ、毎年父さんが語りまくるから、もう知らない話は殆どないんだけどな」

ごそり、と豪炎寺が鞄の中から取り出したのは、一本の果実酒だった。

「これのせいでもあるんだろうけど」
「……シェリー酒か」
「ああ。唯一母さんが飲めたお酒だったから」
「成程な。しかし……確かシェリーって結構強くないか?」
「だから余計大変なんだよ」
「というと」

「お酒弱いくせに、飲んで饒舌になってひとしきり語った後は寝ちゃってさ、起きるまで帰れないから小さい時は大変だったんだ。……一度、夜になるまで父さん起きなくて、フクさんが気が付いて迎えに来てくれたからよかったけど、珍しくフクさんが父さんを怒ってた」

紙コップについだシェリー酒を渡され、受け取るとふわりとサクランボの香りが鼻孔をくすぐる。綺麗な琥珀色が紙コップの白を通して目に魅せる。

「乾杯」

かしゅっ。

紙と紙なので、そんな音しかしなかったが、いつもの室内でグラスで飲むそれとはまた違って新鮮で良い。お酒はどちらかといえば好きな方ではない。アルコールが廻ってくるに従って、自分が何かに支配されていく感じが嫌いで、そのため誰かと一緒の時間を共有できるツールだとしか思っていなかった。      
が、それをふまえたとしても――

「――美味しい」
「よかった」
 
本当に美味しいお酒だからだったのか、この大自然の中で飲んでいるからなのか、はたまた一緒に飲んでいる人が良かったからなのか。答えはきっと全部だろう。とにかく美味しかった。お酒がこんなに美味しいと思えたのは初めてだ。

「俺も、今日の酒が一番美味しい」
「みんなで楽しく騒ぎながら飲む花見もいいけど、こういう静かな花見の方が俺は好きだ。人混みは苦手だした」
「同感だ。それに、」
 
ずしり。急に胡坐をかいている足に、体重がかかる。豪炎寺の頭だった。

「こういうこともできるしな」
「……阿保か」
「この体勢が一番桜を綺麗に見られる」
 
灰色の綺麗な瞳がこちらを見つめている。
(こっちの方も、綺麗だけどな)

彼が首を痛めないように座り直して、鬼道はまた一口、酒を口に含んだ。下から声が聞こえる。

「な、」
「ん?」
「それ、くれないか?」

それ、とはどれのことを指しているのだろうか。すぐに理解できず、鬼道が視線をさ迷わしていると、

「それだよ、それ」

酒のことだろうか。横に置いてある豪炎寺の紙コップを取ろうとして、止められる。

「ちがう。お前の」

何を言ってるのだろうコイツは。どっちに入ってるのも同じなのに。鬼道は仕方なく自分の紙コップを豪炎寺に差し出して、

「……ほんっとに、こういうのになると疎いな」

長い腕が伸びてきたかと思うと、髪を掴まれ、引き寄せられる。そこでようやく理解した。豪炎寺の言う『それ』とは、鬼道が口に含んだ酒のことだったのだ。理解した上で、鬼道はそれを呑み込んだ。

「あ……」
 
豪炎寺の落胆した顔。

「馬鹿、溢すだろ」
「零れないように飲ましてくれよ」
「お前なぁ…」
「溢さないように全部飲むから」
「そういう問題じゃ――」

ああ、この瞳をしている時は何を言っても無駄だ。下手すれば被害は拡大してしまう。諦めて、紙コップから一口含んだ。ゆっくりと豪炎寺が目を閉じる。鬼道も同じようにゆっくりと目を閉じ、唇を重ねた。

「ん……」

彼の口内に少しずつ酒を移していく。唾液混じりの液体が移る度に、こくり。豪炎字の喉が鳴る。絶対にそのまま飲んだほうが良いと思うのだが、果たして本当に美味しいのだろうか?やがて全部を与え終え、顔を上げようとしたところ、またぐいと髪を掴まれ繋がりを深くする。

「ふ…んっ……!」

抗議しようにも、言葉が出せずされるがままである。本気で抵抗しないのは、彼のキスが好きだからとか、そんなことはまだ口が避けても本人には言えない。(調子に乗るからな)中に残ったのを全て奪おうとでもしているのか。豪炎寺の舌が鬼道の中の隅々まで蹂躙してくる。
酸素までも奪われているのではないのだろうか。だんだんと酸欠で意識がぼんやりとしてきた時に、やっと豪炎寺が唇を離した。

「…………おかわり」
「………っ……………この、呑んだくれがっ……」
 
口元を拭いながら身体を起こす。
豪炎寺はにやりとほくそ笑んだ。最後まで味わうかのように舌なめずりをする。紅い舌が這った痕は、唾液がてらてらと厭らしく光った。

「ほら、この桜もそのうち散っちゃうだろ?」


 ――だから、
(だから?)






「こっちの桜も、散る前に愛でておかないとな」







鬼道の頬が、より桜色に染まった。









fin.
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