アイテム2

□死の淵で
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白い部屋。
ベッドに仰向けのままの身体に生えている、白い腕に細い指。
それに自らのそれを絡めて、少年は祈っていた。
僅かに上下する布団が、まだ彼の命が現世に留まっていることを教えてくれている。

「……鬼道」

少年――豪炎寺の口が、彼の名前を呟いた。
しかしその声は彼に届くことはなかったらしく、返事はなかった。

「―――」

……もう、このままの方がいいのかもしれない。

――眠って、目が覚めてしまわないほうが――
 
目を覚ませば、彼にとって此処はきっと地獄なのだろうから。


繋いだ、手。
絡められた、指。
それは、まだ、あたたかく。


「―――」

ぴくり。
触れ合う肌の僅かな反応を感じ、はっとして顔を上げると、

「……ゃだ………いや、だ…………」

開かれた紅い相貌に浮かんだ涙は豪炎寺が拭おうとする前に彼の頬をすべり堕ちてシーツの染になった。

「置いて……いかな、いで…………」


――ボクヲ、ヒトリニシナイデ。


「傍にいるよ。俺がずっと傍にいるから」

過去も、今も、そしてこれからも。
そうして、豪炎寺がそっと鬼道の身体を抱きしめようした時――

「うわああああああああああああああ!!!」


突然発狂して起き上がった鬼道に力いっぱい振り払われ、体勢を崩して豪炎寺は床に倒れ込んだ。

「うわあああああああああああああ」

目的もなくただ乱暴に振り回される腕に、近くの棚に置いてあった花瓶が倒れ、落ちて割れる。

「うわあああああああああああああ」

豪炎寺は冷静に、その破片を手早くまとめると彼の手が届かないところへと遠ざけた。落とされた他のものも拾っては、彼から遠いところへと移動させる。

馴れた事だった。

「おとうさんおかあさんそうすい総帥!僕を、僕を置いていかないでよぼくをぼくをぼくを――!」

「……鬼道。俺は、ずっと傍にいるから」
(俺じゃ、駄目なのかもしれないけれど)

それでも俺は。
 
「う……あ……ああ………」

悲鳴が小さくなってゆく。
涙でぐちゃぐちゃになった紅い相貌がまた闇に戻ってゆく。

――これも、馴れたこと。

こうやって鬼道は不定期な眠りと発狂を繰り返し続けていた。ずっと傍についている豪炎寺にとって、精神的にも体力的にも辛いことではあったが、

(鬼道は……もっと辛いのだろう)

――想像もつかないくらいに。
幼い頃に両親を亡くした鬼道と同様に、豪炎寺も過去に母親を亡くしている。その時の悲しみ、辛さといったら想像に余るものだ。それが彼にとっては二度、訪れたようなもの。壊れてしまって当然だ、と思った。
乱れた布団を直し、額に浮かんだ汗と、涙を拭いてやる。その時――

「……っ!」

突然、視界がぐらりと揺れて豪炎寺はがくん、と膝を折って倒れそうになった。
立ち上がろうと、床に手を着いた。
その、手。

「……あ……ぁ」

その、足も。
自分の知っている自分の手足ではないと思った。
骨ばって、細く病んだ手足。
それが、今の、自分の手足。
一体、あれからどのくらいの時間が過ぎているのだろうか。
気が付かず、過ごしていた毎日。
 
(毎日――?)

毎日。
毎日、毎日、
過ぎた、月日は――

(まだ、『あの日』から朝は訪れていない!)

『あの日』はまだ終わっていない。
 
「は、あ……あ……」
(――鬼道……)

最後の力を振り絞るようにして、彼の眠るベッドへ縋りついた。眠る彼の姿を見る為に。

――鬼道。

彼の姿は、自分の知っている鬼道そのままであった。

――鬼道、

返事は、ない。
しかし、その理由はすぐに解った。

『そう、か……』

もう、自分は、
声を発する事さえ――

キッカケがないのだから、返事がないのは当たり前のことだった。
もし、自分が後を追ったとしたら。
『こちら』ではなく、『あちら』でまた会ったとしたら。
彼は悲しむのだろうか?喜ぶのだろうか?
それとも――

(まぶたが……重い……)

少し、休もう。
そう、思った時だった。





「……豪炎寺」




「――え?」

久しぶりに聴こえた、自分の名を呼ぶ、声。
豪炎寺は目を見開いた。

「豪炎寺……」
「鬼道……!」

――これ、を。

何処から取り出したのか、いつの間に書いたのか。差し出されたのは、一通の封筒だった。
優しい目。
いつもの悲しみ満ちた目ではなく、
果てしなく続く地平線に沈む夕日の様に、綺麗な紅瞳だった。
豪炎寺は封筒を受け取ると、そのまま彼から差し出された手を強く握った。

あたたかな、手。

鬼道の手が、弱弱しくもその手を握り返してきた。微笑んで、お互い久しぶりに見つめ合って――
 
夕日が――沈む――



「――――」



わかっている。
これが、ただ眠ってしまったわけではないことは。しかし、意外と冷静でいられたものだ。涙も出ていなかった。いや、逆に狂っているからそうなのかもしれない。――まだ、実感がないだけで。
豪炎寺は視線を鬼道から受け取った封筒に移すと、ゆっくりと封を切った。中には、鬼道の字で書かれた数枚の便箋が入っていた。



『俺がお前の事を覚えている俺でいるうちに伝えたいと思ってこの手紙を書いた。
正直こういうのは苦手だから、書こうと思ったのはいいけれど、何を書いていいのかわからないな。』

 
懐かしい鬼道の言葉。


『こうやって書いている間にも、自分が壊れていくのがわかる。それが本当に辛い。止めようにも、どうしようもないんだ。自分のことなのにな。情けないだろう?俺がもし正気で居られたら、きっとお前にボールを叩き込まれていただろうな』

 
まだ鬼道が帝国学園にいた頃。試合に負けたら鬼道は妹と一緒に暮らせなくなると影山に吹き込まれ、集中を欠いた円堂にしたことを言っているのだろう。こんな状態だったくせに、そんな冗談をよくも。しかし、そんな所が鬼道で。


『だが信じて欲しいのは、だからといってお前よりも総帥の事が大切だったとか、そういうことじゃないんだ。俺はもう此処では駄目かもしれないけれど、今度また別な場所で出会った時に。俺がいなくなってからの、楽しかった事、悲しかった事、愚痴とかでもいいんだ。今日の空が綺麗だったとか、切れた電球を変え忘れたとか、そんなくだらない事でも。一緒にいたはずなのに、一緒にいられなかった時間のことを。もちろん、一緒に円堂たちとサッカーやって楽しかった頃の事も、いっぱい、いっぱい話をしてくれ。』 

 
そんなの、わかっている。
当たり前じゃないか。
続きに目をやる。


『――結局、「死」なんてものは誰にでも必ず訪れるものだし、それが早いか遅いだけの事で、大した事じゃない、と俺は思っている。そもそも、「死」があるから「生」がある訳であって。俺らだって様々な「生」を「死」に変えて「生」きている。だから、大したことじゃない。自然の摂理だ。つまり、何を言いたいかというと、お前にあまり悲しむな、自分を責めないでくれ、と言いたいのだな、俺は。回りくどくてすまん。またボールを食らいそうだ』


「……っ…………」


『……もう、これ以上何を書けばいいかわからん。書こうと思えばきっといくらだって書けてしまうからな、きっと。続きはまた今度だ。』


『最後に』


『豪炎寺、今まで本当にありがとう。俺は、お前のことが一番――』



「う……ぁ…あ……あ……!」



最後の言葉を読む前に、それは溢れた涙で見えなくなった。それでも、何が書いているかは解った。解っていた。











「死」との出会いは「生」との出会い。

人は「死」を知ることで「生」きることを知る。

「死」ぬことで「生」きていたことを知る。







「死」があるから「生」がうまれる。
遠くで赤ん坊の声がした。





fin.
→あとがき。
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