書物庫

□夕映 ―ゆうばえ―
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 何を言うでもない。ただ、二人手を繋いで歩く。
 耳に入るのは、周囲の雑踏、お互いの靴が軽く地面を叩く音。
 そして一番大きな、自分の心臓の音。
 隣にいるエミルにまで聞こえやしないかと、マルタはちらりと彼の方を盗み見た。
 ばれないようにと思ったのに、すぐに彼はマルタの方に視線を返してきて。
「どうかした?」
 小さく首を傾げて訊ねられる。
 慌てて、なんでもないのと返せば、彼は不思議そうな顔をする。
 そんな些細な仕草さえもいとおしくて、胸の奥をぎゅっとつかまれたような気分になった。

 顔が赤いのは夕日のせいに出来る時間帯でよかったと、変なところでほっとする。
 こんな風に一緒に過ごすこと、もう出来ないはずだったのに。

 それでも今彼は隣にいる。
 隣にいて、確かに自分と手を繋いでいて。
「ねえマルタ、どうかしたの?」
 幸せに思う気持ちが止められない。
 そう、無意識に頬が緩んで、エミルに不思議がられるくらいに。
「なんでもないよ、エミル」
「ええー……? 教えてくれたっていいじゃない……」
 少し、不貞腐れたような彼にひそりと微笑んで、マルタはそっと繋いでいた手を離す。
 わずかに追いかけるような動きをしたエミルの手に、また嬉しくなった。
「マルタ?」
 軽い足取りで、エミルの正面に回って。くるりと向き直って、まっすぐに見つめる。
「幸せだなって、思ってた」
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