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□心絆 ―きずな―
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 港町、パルマコスタ――。


「すみません、ちょっといいですか?」
「はい?」
 総督府に向かう途中、背後から掛けられた聞きなれない声に、マルタは振り向く。すると、そこには気の弱そうな顔をした男が、いかにも困ったという様子で立っていた。少し、雰囲気がエミルに似ているかもしれない。片手にガイドブックを持っているところを見ると、旅行者だろうか。
「宿屋までの道を聞きたいんですが……。この地図、どうも分かりにくくて」
 そう言って、彼は手の中のガイドブックをあげてみせる。開けられたページを覗き込むと、確かに分かりにくい。観光ガイドの地図の精度など知れているとはいっても、これはちょっとひどくないだろうかと、マルタは眉をひそめた。
「宿屋なら、ここから西に進んで、三つめの角を右に、あとは右、左、左、右の順番で最初に見えた角を曲がって、まっすぐ進めば着きますよ」
「ええと、西に進んで三つめの角を右、そのあと右、左、右、右……あれ?」
「右、左、左、右です」
 マルタが繰り返すと、復唱した男は、またしても途中で間違えた。物覚えが悪いのか、あるいは覚える気がないのか。思わず溜め息を吐いてこめかみを押さえる。
「す、すみません。僕はどうも覚えるのが苦手で……」
 申し訳なさそうな表情の男に、気にしないように言い、マルタはメモを書いて渡そうかと提案した。いい考えに思えたのだが、彼はなぜか焦ったように首を振る。
「あ、あの。もしご迷惑でなければ、案内してもらえると嬉しいんですけど」
 今からかと戸惑うマルタに、男はやけに必死に食い下がる。いっそ、不自然に思えるほどに。
 なんとなく、いやな予感がして、正直あまり長く一緒にいたくないと思ったマルタは、やんわりと断ることにした。
「ごめんなさい、今からちょっと用があるから、そこまでは……。あ、おしごとにんのところまでなら案内しても」
「そ、そんな。困ります。お願いしますよ、時間なんてそんなにかからないじゃないですか」
 ……しつこい。他の誰かに頼んだっていいだろうに、どうしてここまで。前言撤回だ。この男、ちっともエミルに似てなどいない。エミルなら人に無理を強いたりしない。
 少しばかり苛立ち、どうやって断ろうかと思案していると、ふと引っ掛かりを覚えた。
 今、彼はひどく不自然な言動をしなかったか。
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