書物庫

□奥底 ―おうてい―
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 決着をつける日は、もう明日に迫ってる。
 だから、この時間を終わらせるのはすごく名残惜しかったけど、早めに休んだ方がいいと思って、僕はマルタを促してホテルに戻ろうとした。
 でも、いくらも行かないうちに、マルタが何かに気付いたように小さく声を上げて視線を止め、ついでに足も止めてしまった。
「……マルタ?」
 声を掛けると、びっくりしたみたいにこっちを向いて、慌てて謝ってくる。
「別に、謝らなくてもいいけど。何かあったの?」
「うん。……あそこ」
 マルタが指差した、その先にあったのは、小さな店構えの喫茶店だった。ぼんやりとしたランプの灯りに照らされて、控えめに存在を主張してる。看板も古びていて、よくよく見ないと喫茶店だってことにも気付かないかもしれない。
「前にゼロスから聞いたんだけど、あのお店のチーズケーキがものすごくおいしいんだって」
「へえ……」
「味にうるさいゼロスがあれだけ褒めるんだもん。私も食べてみたいって思って、アルタミラに来るたびに探したんだけど、見つからなくて。……こんなところにあったんだね」
「……昼間は周りの明るさに負けちゃってたのかもしれないね」
 夜の闇の中でさえ沈んでしまいそうなそのお店は、お世辞にも目立つ外観とはいえないから。
 でも、確かに雰囲気もいいし、知る人ぞ知る、って感じで、常連さんを掴んでそうにも見える。
 しばらくじっと眺めていたマルタだけど、ふっとまばたきをすると、そのお店に背を向けた。
 てっきりこのまま入るものと思ってた僕は、びっくりしてマルタに声を掛けた。
「……いいの? 入らなくて。まだ開いてるみたいだよ」
「うん、いいんだ。今は気を引き締めなきゃいけないときだし。……それに、あのお店って高いんだよね。私、もうほとんどお小遣い残ってないから」
 マルタが“お小遣い”って言うのは、食糧やグミなんかの旅の必需品を買う共用の財布以外に、個人で好きに使っていいように分けられているお金のことだろう。基本的には装備品を整えたりするのに使うけど、やりくりすればちょっとした遊興費にもなる。マルタ含めて女の子は肌が荒れないようにって化粧品を買ったりもしてるし、確かにお小遣いといえばお小遣いだ。
 微妙に違和感もあるけど、まあ些細なことだと深く考えないことにする。
「そんなに高いの? ここ」
「高い。ゼロスに聞いた話じゃ、コーヒー一杯1000ガルドだって」
「こ、コーヒー一杯1000ガルド!?」
 ありえないよね、と眉を下げるマルタに同意して、何度も頷く。
 ホントにありえない。パルマコスタの食堂なら、800ガルドでオリエンタルライスとうまティーのセットが食べられちゃうのに。テセアラの首都のメルトキオだって、もう少し安かった気がするし。さすがは世界一の大企業のお膝元だ。
 同じアルタミラでも、観光客のよく入ってるところはまだ抑えた値段になってることを思うと、やっぱりターゲットは地元の常連さんなのかもしれない。
「ま、残念だけど仕方ないね。お金貯めてまた今度来るよ」
 そう言って、マルタは苦笑いしてみせた。
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