けいおん!

□『さよなら親友』D
1ページ/2ページ


もし。
もしもの話だ。

過去に戻れるとしたら、いつに戻りたい?

合鍵を渡した時?

高校卒業間近の時?

高校受験の時?


…初めて逢った時?


「…ハハッ、」

馬鹿げた考えは本当に馬鹿げていて。
時間は戻らないし、戻れない。
それに。
過去をどう変えようとも、きっと私は澪と出逢い、恋してしまう。

そして。

こんな風になってしまうんだ…――


「…澪っ!」

先程よりも強くなった雨に、ジャケットが冷たく重たくなっていく。
…まるで私の心のように。

「澪…、澪っ!」

叫ぶ度に白くなる息は、身体中の熱が吐き出されていくようだ。
実際に指先はかじかんできてるし、スニーカーだってぐしゃぐしゃで、爪先ももう感覚がない。

でも。

私は走る。

ここで澪を見つけられなかったら、二度と澪に会えない気がしたから…――









――…澪…っ、

声が出ない。出せる筈もない。身動きすらとれない。
澪も私も時が止まったかのように静止した状態だった。
雨の音だけが二人の間を流れていく。


「ちょっ…、誰よあんた!」

一秒か一時間か。その静寂を切り裂いたのは、私の下になっていた女だった。
女の声にハッとした澪の表情が瞬時に強張る。

「澪っ!」

私の声よりも早く、澪は部屋を飛び出して行った。

「澪、澪っ!」

ベッドから飛び降りて、足がもつれながらも開けっ放しの扉の先に出る。
降りしきる雨の中、澪らしき後ろ姿が走っていくのが見えた。

「みおおぉっ!」

走り出そうとした瞬間、お腹に腕が巻き付けられて阻止される。

「っ、何すんだ!」

澪が…澪が行っちまう!

「ちょっと律!その格好ヤバいから!」

女に言われて自分の姿をまじまじと見れば上半身は裸のまま。
力が抜けていくのを感じ、そのまま引き摺られるようにして部屋に戻る。



…終わった。

澪に…、あんな姿を見られるなんて。

もう…なんもかんも終わりだ。

大津波の如く押し寄せる絶望感に、崩れるようにその場に座り込んだ。
女が私の肩を揺さぶり、何かを喚いている。
うるさいな、もう…何もかも終わりなんだよ。
喋る気力もない私に女はまだ何かを言ってくる。
畜生、うるさいな、黙れよ、もう。

「…ねえ、律!黙ってたらわからな…」

「煩い!もう…出てってくれよ!!」

「っりつ…、」

「出ていけよ!!」

やり場のない怒りを拳に、思いっきり床を殴り付けた。
大きな音に、女が小さく息を飲んだのがわかる。
さっきまで望んでいた静けさが、今は逆に痛い。

「…頼むから…出ていってくれ…、」

もう…一人にしてくれ。

哀願混じった私の言葉は、どうにか女に届いたようで。
衣擦れの音がした後に、扉の閉まる音が静かに聞こえた。

止まない雨の音だけが聞こえる部屋に一人、私は動けずにただただ、過ぎていく時間に身を委ねていた。


ヴー…ヴー…

床を振動させる何かに沈んでいた意識が浮上する。
バイブ…携帯だ。確かジャケットの内ポケットに…。
ジャケットを引き寄せ、携帯を取って通話状態にして耳に当てる。

『…あ、出た。律、今日どうした?』

この声は…バイト先の先輩。
慌てて時計を見れば…8時過ぎ、もうバイトが始まってる時間だった。

「あっ、す、すみません!今からすぐ…」

『あー、良いよ今日は。客も少なそうだし…最近頑張ってたから休みにして。』

軽快に笑う先輩に心から感謝し、好意のままにバイトを休みにしてもらった。
とてもじゃないが、今はバイトなんか出来る状態じゃない。

通話を終了させたディスプレイを見ると、新着メールが一件来ていた。
確認してみると、それは澪からだった。

『今日バイト休みになったから行くね。律の好きなの作るから期待してろよ?』

受信した時間は夕方…シてる時。
今日は雨だったから電車で大学行って…。慣れないマナーモードにしたからそのままで。
メールに気づかなかったのは女抱いてたからで。
チラリと玄関付近を見れば、スーパーの袋が置き去りにされていた。


…澪。

軽蔑されたかな。

…軽蔑したよな。

親友が同性愛者だなんて。

しかも、最中見せられて。

あり得ないよな。

もう…終わった……よな。

…終わりだよな。




…本当に?

本当にそれでいいのか?
このまま終わっていいのか?

このまま、"あの時"みたいになっていいのか?


どうせ終わるなら…――







「――…はぁっ、…っは、」

どれくらい走ったかわからない。心臓が破裂しそうだ。
でも、それ以上に心は暴れ狂っていた。

「…っみお…!」

どうせ終わるなら、自分の気持ちをぶつけてからだ!

私の心には、その気持ちだけしかなかった。

その気持ちだけで、ただひたすら走った。


もしかしたらこんな街中に澪は居ないかもしれない。
自分の部屋に戻ったと考える方が自然だったが、それは無いと思った。
根拠も何も無いけど、何故かそう思った。

駅前の大通りを駆け抜けて細い路地に曲がり入る。
曲がった出会い頭に人にぶつかり、満身創痍に近かった私はその場に片膝をついた。

「痛いわね!…って、律!?」

揃わない呼吸のまま、顔を上げると女の子二人組。
ぶつかった方は…澪と鉢合わせになった事のあった女だった。

「どうしたのよ?!ずぶ濡れじゃ…」

「大丈夫、だから…悪かった、急いでんだ…!」

震える膝に渇を入れて何とか立ち上がる。
一度大きな深呼吸をして、一歩を踏み出した時、

「もしかして、本命の彼女と何かあった?」

女の発言に澪の影が見えて、女の方へ振り向いた。

「その顔…やっぱ何かあったんだ?」

「何か…知ってるのか?」

「さっきそこで…――」



私はまた走り出していた。

『さっきそこで…すれ違ったのよ。人違いかなって…思ったんだけど、』

細い路地を抜けて対面の路地へ。

『…傘も差してなかったし、ふらふらして…かなり酔ってたみたい。』

人通りがほとんど無いその路地。
走っていくとふらついてる人影が一つ。

「澪ぉっ!」

肩を跳ねさせて、その人は私に振り返る。

「……りつ、」

酔っているからであろう紅潮した顔に、心なしか回ってない呂律。おまけに足元もなんだか覚束無い。
走る速度は緩やかに、歩みを止めた澪の一歩手前で踏み止まる。

「…澪…、」

「…あに?」

やっと捕まえられた事に安堵するも、急に頭ん中が真っ白になっていく。

気持ちをぶつけるって…どうすればいい?
澪に何て言えばいい?

さっきのは誤解だ!…って?
でも誤解もなにも、別に私達は付き合ってる訳でもなんでもないんだから、それもおかしな話。

澪が好きだ!…なんて、只でさえ同性愛者で引かれるかもしれないのに、他の女抱いてた手前、尚更言える訳ねぇし。

ここまで来て、またチキンな私が顔を出す。

…どっちにしたって玉砕覚悟なんだ!
今さら迷うな、私!
言え!私!!澪が好きだって!!

「澪、私…」

「りつって女の子が好きだったんだ?」

私の声を遮るようにして澪が言う。

「えっ?」

「だって…えっちしてたじゃないか。」

「う…、」

ズキリと胸が痛む。
その痛みにせっかくの覚悟が、みるみる内に消え失せていくのがハッキリとわかった。
澪の目を見れず、俯くしか出来ない私に、澪は小さく笑う。

「しかも、この前とは違う女の子だったな。…りつってば結構あそびにん?」

「ちっ、違う…!」

遊んでた訳じゃなくて…!
澪を抱きたくて…、…抱けないから代わりに…。

……遊びよりか酷いか。

「…違わない、よね?」

なにも、言えなかった。
それは肯定を意味する沈黙だって事はわかっていても、私はなにも言えなかった。

「…実は、私の事も狙ってたりした?」

「っ!!」

勢いよく上げた顔が。待ち構えていたように澪に見つめられていて。

「…図星?」

それは何もかも見抜かれたみたいに。瞬時に顔面が熱を帯びていくのがわかった。
クールダウンされない心臓が煩いくらい高鳴っている。

「…そうなんだ。……そっかぁ、」

呟くようにして澪は視線を落とす。
雨で張り付いた前髪で表情はよくわからない。
もしかしたら軽蔑してるのかもしれない。
そりゃそうだ。
親友だと思ってた人が同性愛者で、しかも自分を狙ってたなんて。
そうじゃない!って否定出来ない自分が悲しかった。
純粋に…、本当に純粋に澪が好きなのに、それが伝えられない自分が悲しくて、悔しくて。


「……いいよ、」

暫しの沈黙の後、澪は不意に小さく、それでもハッキリとした声で言った。

「な、何が…?」

「抱きたいんでしょ?私の事…。だから…いいよ、抱いて。」

言葉が出せなかった。
澪が何を言ってるのかを理解出来ないのと、
"あの時"みたいに何かに耐えるような、泣き出しそうな、そんな顔で微笑んだからだ。

それで悟ってしまった。
もう、澪の心は絶対に私のものにならないって。


…それなら――

「…澪っ!」

依然として降りしきる雨の中、澪を掻き抱いた。

お互いの冷えきった身体が、今の心をそのまま現しているようだった。


雨は当分止みそうもなかった。






.

次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ