けいおん!
□『さよなら親友』A
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よく小説とかで『目を疑う』って表現があるけど、今の私が正しくそうだった。
「…久しぶり、律。」
目の前に立つその人は、間違いなく秋山澪その人なんだけど。
高校卒業以来、私達は微妙に疎遠になっていて。
何で今、このタイミングで居るのか。状況が掴めないのと、
少し会わない間に大人っぽくなって、やっぱ澪は綺麗だなぁ。…なんて見とれるので頭ん中はぐちゃぐちゃだった。
「…?律?」
いつまでも喋らないからか、澪は不思議そうな顔で私を見る。
「あ、…ひ、久しぶりだなっ澪。」
何とか声が出せた。
…と。
「…りつぅ〜?どっかいくの〜?」
ベッドから届く甘ったるい女の声。
反射的に澪が中を覗こうとする。
「…誰か居るの?」
昨晩お持ち帰りした女がいまーす♪
…なんて口が裂けても言える訳もなく。
「あっ、いや!ちょ、ちょっと待ってて!」
一旦ドアを閉めて慌てて女の所へ。
急いで服を着ながら女にも服を押し付けて有無を言わさず着替えさせる。
明るくなってからちゃんと見た女の首筋には、私が昨晩つけた跡が露出するだろう処に堂々といくつもあって、軽い目眩がした。
…私のバカ!!ちったぁ自重しろよ!!
女の着替えが終わるのを見計らって、背中を押すようにして部屋から出す。
「ちょ、律っ!何よいきなり。」
「まあまあ、今度訳話すからさ!」
ブーブー言う女は玄関を出るなり澪に気付いてニヤリと笑った。
「ははーんなるほどー?本命の彼女登場かぁ。」
「ばっ…!違ぇよ!!」
はいはいじゃーねぇ、なんて軽く流しながら女は帰って行った。
女の後ろ姿を見ていた澪が申し訳無さそうに言う。
「…何かごめんな?」
「き、気にすんなよ。アイツ大学の友達でちょっと変わってて…、」
…どう見てもさっきの女は大学生には見えないけど。
見え見えの嘘は余程白々しくて。
妙な沈黙に、私はただ乾いた笑いしか出ない。
「あー…、とりあえず上がる?」
「…うん。お邪魔します。」
澪が何も無しに此処に来る筈もない。
もし何か悩み事や困った事があって私を頼って来たのなら…。
期待に近い感情が燻り始めたのを感じながら、澪を部屋へと招き入れた。
こんな事なら外でお茶しときゃ良かった!!
部屋に戻った私の脳裏は後悔一色だった。
さっきまで(焦ってたってのもあるけど)気づかなかったけど、この部屋スゲー臭い。
アルコールの匂いと、女の匂いでむせかえるようだ。
別にあの女の匂いが臭いって訳じゃなくて。…その、…あれだ。
"女"の匂い。
「いやー昨晩遅くまで友達と飲んでてさー!匂うよな、換気しなきゃなぁっと!」
慌てて窓を前開にして換気を行う。
「…何か飲むもの出す?」
「んー…確かお茶あった筈。」
「…あった。」
私が換気を行ってる最中に澪が台所でお茶を注いでくれている。
何だか勝手知る澪の行動に、高校時代に戻ったみたいでくすぐったかった。
「…なあ、ちゃんと食べてるか?」
「ふへ?」
冷たいお茶を一口してから開口一番。予想だにしない質問を澪はぶつけてきた。
「そら食ってるよ。飯食わなきゃ死ぬじゃん。」
「そりゃな。…じゃなくて、自炊とかしてないのか?」
「…たまにキャベツかじってるけど?」
「自炊って言わないだろ、それ。」
久々の掛け合いに私も澪も笑った。
…良かった。私笑えてる。
時間が心の傷を癒してくれた、ってやつなのかな。
こうやって前みたいに…高校時代みたいに、親友…に戻れるかな。
なんて、そんな風に思えた自分自身に少し安心して。
ふと澪に視線を向けると心配そうな顔を向けていた。
「…さっき冷蔵庫開けたらお酒しか入ってなかったからさ。少し心配したんだよ。」
「あー…。」
バレた。
実は言うほど食ってない。
別に食っていけない訳じゃなくて、大学にバイトにバンドに忙しくて、いつの間にか食うのが億劫になってるだけで。
澪はテーブル脇に散乱する空き瓶空き缶をチラリと見て。
「…お酒飲んでばっか?」
「ま、流動食みたいなもんでしょ?」
軽く流して笑う私に澪は思いっきり溜め息をつく。
「そんなんじゃいつか身体壊すぞ。大体ドラマーは体力勝負だろ?」
返す言葉も無い私は乾いた笑いしか出ない。
「…今度ご飯、作りに来てあげるよ。」
「え?」
急に声色が優しくなったのに驚いて、まじまじと澪の顔を見た。
するとみるみる内に赤くなる頬。
「らっ…来年ムギが帰って来る前に餓死でもされたら困るからな!」
「なんだよそれ!」
私は思いっきり笑った。
そうでもしないと私の頬も紅潮してるのがバレてしまいそうだったからだ。
さっきの訂正すんわ。
やっぱ高校時代みたいに戻れません。
…少なくとも私は。
何にせよ、飯作りに来てくれるなんて…なんか彼女みたいじゃん。
感激に浸る間もなく同時に沸き起こる疑問。
そういや彼氏は…?
聞きたくない質問は喉まで上がってきたけど、何とか押し止める事ができた。
急に黙り込んでしまった私を澪は伺うようにしてこっちを見つめて。
視線を痛い程感じる。
「…律?」
「ん、あー…あっ!そういや今日は何で来たんだ!?」
慌てて言ってしまったものの、もっともな質問が出てきた。
そうだ。なんで澪はここに来たんだ?
「ああ…。その…、」
「んん?」
歯切れの悪い返事に、向けた視線は反らされて。
何だろう?言いにくい事なのか?
「…あ、そう!セッション!そうだ、久々に律とセッションしたくてさ!」
…なんだ、その取って付けたような言い方は。嘘だってバレバレだって。
顔だって微妙にひきつって笑えてないじゃないか。
でも、あえて探りは入れない。
だってうっかり彼氏の話にでもなったら、…今の私はきっと暫く立ち直れない。
…それでも。澪の本意じゃなかったとしても。
単純に私は澪とセッションをしたくなっていた。
「…そうだな!久々にやるか!」
申し出を快く受けると澪はホッとした様に笑った。
それにまた見とれてしまう自分に小さく苦笑いした。
「じゃあ今度暇合わせてやろうぜー!場所は…、」
スケジュールを確認しようと携帯を開くと、ディスプレイには今すぐ出ないとバイトにも遅刻してしまう時刻が。
「うわぁ!もうこんな時間か!?」
「んっ?用事?」
「バイト!もう出ないと…、」
「そっか。じゃ、私帰るね。」
立ち上がった澪と同時スタートでバイトの支度を手早くすませ、どうせ出るんだし、と澪をアパートを出たとこまで見送る。
「何かドタバタしちゃって悪るかったな。」
アパートの駐輪スペースから原チャリを転がしながら詫びを入れる。
「いや、私こそいきなり来てごめんな。」
「んにゃ、久々に澪と話せてよかったよ。あ!セッションの件、メルでな!」
「うん。メール待ってる。」
やわらかな笑顔の澪に、ほんの少しだけ切なさを感じた。
もっと一緒に居たいって気持ちが騒いでるのを無視して、私も笑顔を作ってみせる。
「じゃ、またな!」
「あ、律…、」
小さな声で。それでもしっかり私の耳に届く澪の声は原チャリの発信を止める。
「どうした?」
「うん、その…、」
澪の表情は俯いててハッキリわからない。
ただ、何か言おうか言うまいか悩んでるのは、雰囲気で何となくわかった。
澪の言葉を待っていると、やっと澪は顔を上げてくれた。
「な、なんでもない!バイト…頑張ってな!」
それだけを言うと、澪はまるで逃げるように走っていってしまった。
追いかけなきゃ!
そう思うのに私の身体はその場に貼り付けられたように全く動かなかった。
だって、あんな顔…。
"あの時"みたいに何かに耐えるような…、泣き出す寸前のような…、そんな顔向けられたら。
どうしていいかわからないじゃないか…――
久しぶりに甘さと切なさに掻き乱された心に、私は弱りきっていた。
あっという間にバイト先に着いて制服に着替える際に、まじまじと自分の姿を鏡で見て驚いた。
じわじわと込み上げてきた笑いはもちろん自嘲的なもので。
「ハハッ…サイテーだな、私。」
鏡に映る私の首筋辺り。
くっきりとキスマークが二つ三つ残っていた。
こんな姿を澪の前で晒してたのか。
ガツン、と己を戒めるみたいに鏡に額を打ち付けた。
「…ほんっと…、サイテーだ…――」
…痛みは全く感じられなかった。
心の隅っこで、きっと私は密かに期待してたんだと思う。
また高校時代のように澪と接するようになれる事を。
けれど。
零れたミルクは戻らない。
戻りたい。とか、戻れる。とか、そういう次元じゃない。
もう二度と、"あの頃の私"には戻れない。
鏡の中では私が歪んだ表情で笑っていた。
……To be continued
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