小説

□無敵 06.9.9
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 どこまでもどこまでもどこまでも甘い王佐に次から次へと仕事を回され続けて、ついに勘忍袋の紐が切れちゃったらしい、眉間に入れ墨のような皺を刻んだ男に閉じこめられて書類仕事ばかりさせられていた少年が、とうとう逃げだした。

 だが一大捕獲捕物帳をやらかしたところで、国中の精鋭が集まった城の警備兵連中から逃げきれるわけがない。それがいくらこの国の最高位の存在とはいえ、明るい笑顔だけが武器の、絶対に自分達には強気には出れない庶民派の少年と、静かに怒りを湛えた威厳ある男の恐ろしい眼力と重低音とを天秤にかければ、兵士の心の中でどっちが勝つかは明白だ。

 当然のごとく、呆気なさ過ぎる、ちょっとは気張って逃げてくださいよつまんないなあもう! と溜息つきたいくらいに簡単に、渋谷有利はとっ捕まってしまった。
 しかしどんな運命の悪戯か、彼には幸運の女神が微笑んだらしい。

 神に祈ったのが良かったのだろうか? それとも仏様に祈った方のが効いたのか? いやいや案外アッラーかも。まさか毒女じゃないだろうな。えっ、じゃあその場合はあのひとが幸運の女神様なのか? 彼女の場合は幸運というより不幸を司る神というか、もはやそれは神とは呼ばないんじゃあ……いやでも日本には厄病とか貧乏とか頭に付く神いるしな。どっちにしろ彼女がそんな人智を超えた存在になったらこの世の男は悲惨だ……いや待て、それは今とどこがどう違うんだ?

 などと有利は自分の考えに引き攣ってしまったが、しかしすぐに笑顔に変わった。我ながら節操無いなあと思いながら、思いつく限りの信仰の対象である存在に祈りまくった職業意識全然無さすぎの魔王を捕獲したのは、兵士連中ではなく彼の名付け親だったから。

 追跡者の顔を見た途端に心底ほっとしたように大きく息を吐き出して、「よかったー、あんたでー」と笑う有利に、ついつい捕獲した男も笑みを零してしまったのは誰も責める事はできないだろう。それくらい有利は安心した様子で笑う。そんな顔をもっと見たくなったコンラートは優しく声をかけた。

「そんなにどこかへ行きたいなら、こっそり出かけちゃいますか?」

 本当はあまり甘やかしてはいけないと分かっていたからこそ、たまには厳しくしないと駄目だと言い張る兄に乗せられたように探していたのであるが、彼がこの魔王様のこの笑顔に勝てたためしはない。実は王佐よりもウェラー卿コンラートは魔王に甘いのだ。ってそんな事は皆知ってるけど。

「えっ、いいの!?」

 弾んだ声で目を輝かせてきた名付け子に頷きながら、「どうせなら猊下もお誘いしましょう」と、ウェラー卿コンラートは今日も爽やかに微笑んだ。
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