十二国記小説

□風の邂逅 05.12.4
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 人込みの中で、彼は腹に衝撃を感じて顔を顰めた。

「気をつけろ」

 吐き捨てるような声に、ぶつかってきたのはそっちじゃないかと振り返ったが、大量の人でごった返している関弓の街だ、どれが自分にぶつかった奴だか判らない。大体どんな奴だかも見てなかったので判るはずが無い。それほどこの街は人が多い。ぶつかるなど日地上茶飯事で、いちいち気にしていたらきりがない。

 なので彼は踵を返してまた歩き出した。数歩進んだところで、おい、と呼ぶ声がしたが、別段気にも留めずに歩き続ける。
 そこにまた声がかかった。

「おいそこの。お前だ、お前。茶色い髪の、青い服のお前!」

 その声に、おや? と彼は足を止めた。茶色の髪は沢山いるが、青い服と言われて自分の服を見下ろした。
 今日自分が着ているのは青い物で、ならばさっきから呼ばれているのは自分なのだろうか?
 そう思い振り向くと、そこには背の高い男が立っていた。

 男は黒髪を無造作に後ろで一つに纏め、着物をだらしなく着崩しており、一見遊び人風に見えた。
 しかし整った顔は同じ男から見ても見惚れる程で。
 偉丈夫というのはこういう奴のことをいうんだなと彼は思う。
 その偉丈夫は、顔に似合わないような人懐っこい笑みを浮かべると、何故か片腕で羽交い絞めにしていた小男の懐に手を突っ込んで何かを取り出した。

「これはお前のではないのか?」

 その袋には見覚えがあった。だがしかし、それはここにあるはずで、とその場所を、すなわち自分の懐を探ったのだが、そこには何も無かった。
 ではやはりあれは自分の財布なのだろうか? だが何故あの男が持っている?
「あっ!?」
 さっきぶつかった奴――それがこの小男か。
 偉丈夫は先程よりも笑みを深くして彼に財布を投げてよこした。

「間抜け」

 にんまりと言われた言葉にうっと詰まったが、慌てて財布を受け取ると彼は頭を下げる。
 普通ならこんな言葉を言われたらむっとするものかもしれないが、あいにくその通りなので返す言葉が無い。スリにやられた上に、気付きもしない己が情けなくって赤面した。けれども取り返してくれた恩人には礼を言わなくては。
「す、すまない、助かった。ありがとう」
 頭を下げたら、男は片眉を上げて答える。それは楽しそうに。
「なに、礼を言われるほどのことはしておらん。気にするな」
 快活に笑う偉丈夫を、彼は半ば感心した風に眺めた。
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