□もう一つの
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カレンダーに赤ペンでつけられた花丸。
視界に入る度にそわそわしてしまうのは、僕と神楽ちゃんだけじゃなく本人も同じらしい。

今年からはサプライズはなし。

ネタがないとかそういうんじゃなくて、銀さんが望むことをしてあげたいよねって神楽ちゃんと相談した結果だ。

それでも当日が来るのはやはり待ち遠しい。
喜んでもらえるだろうかと思うのは、サプライズであろうとなかろうと同じで。

銀さんが一番ほしいとねだったのは、日付が変わってすぐの僕からのおめでとうの言葉。キスはオプションでつけてくれると嬉しいと言われた。
照れくさそうに告げる銀さんは、なかなかお目にかかれない。
しげしげと見つめていると、無理なら別に神楽と一緒でもいいしとそっぽを向かれてしまった。

三十路前の大人の男をかわいいと思ってしまうなんて、僕はどうにかしているんじゃないかという考えが頭をよぎったけれど、銀さんを好きになった時点ですでにどうにかなっているんだ。
好きという感情は自分でも想像しなかった言動や気持ちを生み出してくれる。

例えば、いつもなら恥ずかしくてできないけれど、今のかわいいと思ってしまった銀さんには自分から抱きついてキスをしたいなとか。

「銀さん」

赤くなった耳に唇を寄せて名前を呼ぶ。
驚きに跳ねる体をぎゅっと抱きしめて、触れるだけのキスを。
もっと深いものだってしているけれど、たったこれだけでも幸せを感じてしまう。
好きの気持ちが同じ方向を向いているって、すごいことだ。

「…前払い?」
「当日なくていいんですか?」
「いや、いる」

正直な返答に吹き出して、笑い続ける僕の唇を今度は銀さんが塞ぐ。
まだ誕生日でもないのに、こんなに幸せでいいんだろうか。
銀さんを幸せにするはずなのに、僕ばかりがそうなっているような気がしてしまう。

当日はうんっと甘えさせてあげよう。
食べ物に関しては金銭面と糖尿病予備軍ということもあって確約はできないけれど、僕ができることで銀さんが喜ぶのなら全力でお祝いしたい。

まずは前日夜の泊まりの許可を、姉上にもらわなくちゃ。







銀さんに求められるままに祝福の言葉を紡ぎ、唇を重ね、顔から火が出るほどのことをしたけれど。
神楽ちゃんと定春。三人と一匹で今日という日を祝うためにセーブしてくれたのか、立ち上がれないほどではなかった。
すぐそこにいる銀さんはだらしない顔で眠っていて、昨夜の男の顔はどこへやら。

「…どっちも好きですけどね」

本当に自分はもの好きだと苦笑いしながら、せっかくの誕生日なんだからもう少し寝かせてあげようとそっと布団を出る。
赤い痕を神楽ちゃんに見られるわけにはいかないから、着替えをすませてから台所へと向かった。

いつもなら僕が起こさなければ起きてこない神楽ちゃんも、誕生日会の飾りつけを頑張るんだと意気込んでいたせいかすでにお目覚め。
台所でタイマーセットしていた炊飯器が炊き上がりを知らせる音を鳴らしてすぐに、しゃもじで直接ご飯を食べていた。

「蒸らした方が美味しいのに…」
「できたてが一番アル」

顔も洗って服も着替えて準備万端な神楽ちゃんのために、急いで味噌汁を温めて卵焼きを作る。
今日は特別にいつもより甘い卵焼き。
砂糖を入れた卵焼きは焦げ易いけれど、今日はきれいに作ることができた。

台所に充満する朝の匂いに、互いの腹が催促の声をあげる。
顔を見合わせて笑い合って、和室へと移動。

「いっぱい食べて準備頑張らなくちゃね」
「頑張るアル!」

銀さんの分は残るだろうかと懸念しながら、二人と一匹での朝食。
匂いにつかれて起きてきた銀さんが、不服そうな顔をした。

普段は布団を引っペがしてもしがみついてくるくらい寝汚いくせに。
楽しそうにご飯を食べる僕らの声を聞いて、仲間はずれにされたと思ってしまったんだろうか。
意外とさみしがり屋なところもかわいいなぁと思ったことは、そっと心にしまっておく。

自分の分に手をつけないように神楽ちゃんに言い置いて、銀さんの朝食の準備をと台所に向かうと、僕のあとに銀さんがついてきた。
厠だろうかと思っていたら、台所の入口で立ち止まり、支度をする僕をじっと見つめてくる。

「そんなにお腹空いてたんですか?先におにぎり握りましょうか?」
「いーや。普通」

おかしな銀さんだなと感じつつ、運ぶのを手伝ってもらえばいいやと切り替えた。
この時にもっと突っ込んで聞いておけば、神楽ちゃんの前で恥ずかしい思いをしなくてすんだのにと、後悔したって遅い。

居間に戻っていただきますのやり直し。
僕のご飯はなんだか少なくなっているような気がしないでもないけれど、全て食べられているという状態ではなかった。
神楽ちゃんのお茶碗にご飯が増えているのは気になるけど。

美味しいとは滅多に言ってもらえないけれど、全部食べてくれるのは気持ちがいい。それだけで僕は十分満足だとほくほくしていると、視線を感じた。

銀さんがご飯を口に運びながら、視線は僕へと固定させている。

顔になにかついているのかな。ご飯かな。
それとも昨日の痕がどこかから見えているとか?

青ざめたのは一瞬で、昨夜の熱や手の感触なんかを思い出してしまい、一気に顔が赤くなる。
慌てて神楽ちゃんの興味をテレビへと向けようと、無理やりどうでもいい芸能人のゴシップ記事について語ってみれば、ありがたいことに引っかかってくれた。

今だと着物を正して、頬に米粒がついていないか確認して、銀さんにどうですかと目で問いかける。
それにふんわり微笑みで返されて、いやそうじゃなくてというツッコミを忘れて見惚れてしまった。
いつもとなにか違う銀さんにドキドキしてしまう。

一つ年を重ねると、こうなるんだろうか。
ニュー銀さんは今年からこんな感じなのかなと、馬鹿なことを考えてしまう。

「ど、どうしたんですか?」

まだ寝ぼけているんですかと、焦っているせいで乾いてしまった笑いと一緒に言葉を投げても、見つめ続けるのを止めてくれない。

「そ、そんなに心配しなくても、ちゃんとケーキは予約してありますし、神楽ちゃんだって飾りつけ頑張ってくれるし、僕だって銀さんがリクエストしてくれたご飯作りますよ」
「プレゼントも楽しみにしてるといいネ!」
「ああ。それは心配してない」
「じゃあなんで…」

見つめられるのは慣れていない。
落ち着かなくて仕方ない。
でも、これも銀さんが誕生日に望むことなんだとしたら視線を受け続けるしかないんだろうな。

「今日は十月十日だ」
「はい」
「十月十日はなんの日だ?」
「銀ちゃんの誕生日アル!」
「正解。でも、もう一つあるだろ?」

他に?
神楽ちゃんと顔を見合わせ首を傾げる。
銀さんの誕生日という認識以外、旧体育の日ということしか思い出さない。

答えを出せないでいる僕らを見つめながら、銀さんはテレビを指差した。
芸能コーナーから雑学的なコーナーへと変わっていたそこには、眼科が映っている。

「目の愛護デー?」

それと僕を見るのとなにか関係があるんだろうか。
眼鏡を外せとか、そういうこと?

「目に優しく、心にも優しいもんを見てるんだよ」

穏やかな笑みに言葉を失う。
恥ずかしいことをよくもまぁ素面で言えるもんだ。
神楽ちゃんなんて砂吐きそうな顔してるよ。

「それなら空とか草木の方がいいんじゃないんですか?」
「んなもんよりお前見ている方がよっぽど精神衛生上いいっつーの」
「はいはい、馬鹿ップル馬鹿ップル。ご馳走さまヨー」

ああもう。
神楽ちゃんには呆れられ、定春には鼻で笑われているというのに。
銀さんが当たり前のように言うから、満たされたような視線を向けてくるから。
嬉しいとか思っちゃったじゃないか。

真っ赤な顔で恨みがましく睨んだところで効果がないのはわかっている。それでもせずにはいられない。

視線から伝わる好きの感情。
今日一日、ずっとこの視線を受け続けないといけないのか。
恥ずかしいけれど、銀さんが望むなら感じ続けよう。
幸せにするんだって決めたんだから。

でも、来年の銀さんの誕生日は、お願い事をひとつに制限しようと決めた。








Happy Birthday!













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