□4周年企画E
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朝食後の食器を洗っていると、背中に少しの衝撃のあと温もりが訪れた。
素直に甘えてくれない神楽ちゃんは、いつも出かける時にこうして勢いよく背中から抱きついてきてくれる。背中にぐりぐりと頭を押し付けられて、くすぐったさに笑みを零す。
それに満足したのか、肩越しに見た神楽ちゃんは僕を見上げてにかっと銀さんによく似た笑顔を向けてくれた。

「いってくるネ」
「いってらっしゃい」

泡だらけの手を洗ってタオルで水分を拭いてから、腕を放した神楽ちゃんと向き合って頭を撫でる。
こそばゆいような嬉しいような、そんな表情を浮かべる神楽ちゃんはかわいらしい。
妹がいたらきっとこんな感じなんだろうなぁ。
やりすぎると照れを通り越してツンが出てきてしまうから、加減が難しいけれど。
今日は駄眼鏡とは言われずにすみそうだ。

「銀ちゃんソファで寝てるアル」
「もう?さっき朝ご飯食べたところだっていうのに」

結野アナのお天気コーナーも占いコーナーも終わってしまって、することがないんだろう。
いつもこの時間は、神楽ちゃんが家にいる時は二人で新聞読みながら喋ったり、僕がお願いした布団干しをしてくれたりする。
今日みたいに神楽ちゃんが出かける時なんかは、愛読書を読み耽るか寝転がるかどっちかだ。

依頼があればいいけれど、ここのところは閑古鳥が鳴いている。というか、鳴きっぱなしだ。
通帳の残高の桁が減っていく度に、僕の胃が痛んでいることを銀さんは知っているんだろうか。

「叩き起こしてやるもよし、こっそり眺めるもよし、アル」
「かっ、神楽ちゃんっ!?」
「にっしし」

完全にからかわれている。
恋愛経験ほぼゼロの僕が銀さんとお付き合いしていることを知っているからこそだけど、家族にそういう風に言われてしまうのは他人に言われるより焦るし恥ずかしい。
知っておいてほしいからと神楽ちゃんに伝えたのは間違っていなかったと思うけれど、時々こんな風に遊ばれてしまう。

「たまには頑張ってみろヨ」

男らしい表情で親指を突き出した拳を突きつけられ、これまた慌ててしまう。
神楽ちゃんはいったいどこまで知っているんだろう。
なにか仕掛けてくるのはいつも銀さんで、僕からどうこうすることはまずない。
どうしたらいいのかがわからないんだ。

「銀ちゃんだって不安になることがあるかもしれないネ」
「え…?」
「アドバイスはここまでヨ。これ以上知りたかったら晩ご飯は焼肉にするヨロシ」
「そんな余裕ないこと知ってるくせに」
「じゃあ頑張ることアルな」

にやんと悪い笑み。
もう。仕草だけじゃなく、そんな表情まで銀さんに似なくたっていいのに。

定春に声をかけて、神楽ちゃんは玄関前の柵を乗り越えて地面に華麗に着地。
通行人が驚いて声を上げるのが聞こえて、なんだか申し訳ない気分になった。
ちゃんと階段使うよう言わなくちゃ。

なんて、神楽ちゃんの言葉から目をそむけようとしていたのに。
僕は洗い物をそのまま残し、そっと玄関に向かった。
用心のためだからと、普段かけもしない鍵をかけて突然の来訪者に備える。
心臓がもう速くて、どれだけ緊張しているんだかと自嘲の笑みを浮かべてしまう。

恋愛に奥手で思いが実って銀さんと恋人になれたのは嬉しいけれど、いつも僕はいっぱいいっぱいだ。
銀さんは僕と出会うまでに色々経験してきたのか、すごく手馴れている。それが悔しかったり寂しかったりする。仕方のないことだとわかっていても、今は僕が一番なんだと理解していても、いつまで経っても慣れない僕に初心だなとか子供だななんて視線と表情を向けられるのがたまらなく悔しい。

かといって、僕から求めるなんてことはできない。
手を繋ぎたいとかキスしたいとか、そんなの恥ずかしくて言えない。
いつだってされるがまま、銀さんが望むままだ。

「…素直になれないのは僕も一緒か」

神楽ちゃんのことを言えないな。
素直になるのが恥ずかしいのは性格だからしょうがない。
でも、神楽ちゃんは時々さっきみたいに見せてくれる。
なのに僕ときたら。

小さく溜息を吐いて自己嫌悪。
甘え下手とかそんな問題じゃない気がする。
怖い…のかな。これまで見せたことない自分を見せて引かれないか、嫌われないかって。

考え始めるとどんどんネガティブな方向へといってしまう。
悪い癖だな。

居間へ足を踏み入れると、ソファに銀さんが寝そべっていた。
左手をだらりと床に垂らし、しまりのない表情でなんともだらしない。
それでも、落ち込みそうになっていた僕を浮上させてくれる。

僕がここにきたころは、愛読書を顔に広げて乗せていた。
眠っている顔を見られたくないのか、眠っていないことを知られたくないのか。
常に気を張っているような、そんな風に見えたっけ。
それがなくなったのはいつからだろう。
気が付けば愛読書を顔に乗せることもなく、無防備な寝顔を晒してくれるようになった。

平和になったこと、安心感があること、信頼されていること。

その全部が銀さんを変えたんだと思う。
そこに自分が関係しているのが嬉しい。
僕がいるから眠っていられると思ってくれているのが、僕に勇気をくれる。

ソファとテーブルの間に正座すれば、眠っている銀さんの顔を少し見下ろす状態になった。
普段あまりない角度に胸が高鳴る。
規則正しい息遣いが本当に眠っていることを教えてくれて、ほんのちょっとほっとした。

銀さんの知らない間になら、大胆になれるかも。

まだ梳かしていない髪を指で摘む。
太陽できらきら光るこの髪が好き。
朝と夕方で違う色を放つんだ。
後ろからそれを眺めるのが好きだけど、銀さんは隣に並んで歩いてほしいみたい。
隣だと見ているのがばれちゃうし、銀さんが僕の方を向いて優しい微笑みを浮かべたりするから集中できないんだけど。
だって、普段見せないような表情を二人っきりだとされてしまうんだ。ドキッくらいならまだいい方で、俯いて言葉すら出せないくらいの衝撃を受けることもある。
僕の心臓もたないよ。
他愛ない話をして並んで歩いている時だって、そんな雰囲気まるでなかったのに不意打ちを食らうこともしばしば。
視線で好きだとか愛しいとか告げられて、照れないわけがない。

付き合うようになってからの銀さんは、それまでまったくといっていいほど見せなかった僕への感情をわかりやすく表現するようになった。
最初からこれくらいしてくれていれば、片思い期間が短くてすんだっていうのに。

銀さんの気持ちが駄々漏れなのに反して、僕はあまり変わらない。と思う。
神楽ちゃんのさっきの言葉、銀さんが不安に思ってるかもってのがそれを物語っている気がする。

好きで仕方ないのに素直に出せないでいるから、銀さんを不安にさせちゃっているのかな。
言われたからすぐじゃあキスしましょうなんて軽く言えるわけもなく。
こうして眠った銀さんの髪に触れることくらいしかできない。

ちょっとずつ、ちょっとずつ変れるように頑張りますから。

銀さんの寝顔にそう決意表明して、落ち着きなくきょろきょろと部屋の中を見渡した。

誰もいるはずない。
神楽ちゃんはさっき定春を連れて出て行ったし、玄関の鍵もかけた。

今、万事屋にいるのは僕と銀さんだけ。
二人、だけ。

一人真っ赤になる。
どうして鍵をかけたのか。
髪に触れるためだけじゃない。

本当は望んでいる。

銀さんに触れたい。
抱きしめたい。
抱きしめてほしい。
キスしたい。

恥ずかしくて言い出せない言葉たち。
望めば銀さんはどうぞと両手を広げて受け入れてくれるってわかっている。
それくらい銀さんから僕への思いはわかりやすいし、伝わっている。
あとは僕の問題。
恥ずかしさを払拭するだけ。

なんだけど。

太腿の上に置いた拳に力をこめる。

頑張るから、最初の一歩は僕だけの秘密にさせてください。

腰を浮かして目を閉じる。
今までにないくらい心臓がバクバクとうるさい。
どうか口から飛び出ませんように。

そんなことを真剣に願いながら、顔を近づけていく。

髪でも額でも頬でもなく、唇へ。
軽く触れるだけの口付けを。

ほんの一瞬でも僕には長い時間に感じて慌てて離れようとしたら、唇をべろんっと舐められた。

「―――っ!?」

だらしなく落ちていた左腕が僕の腰に回って、寝起きとは思えないほどの力で引き寄せられる。
ばっちり開いた目が狸寝入りだと教えてくれて、口を金魚のように開け閉めすることしかできない。

「いいいいいいいつからっ!?」
「最初っからだな」
「か、神楽ちゃんは寝てたって!」
「これなーんだ」

ソファと背中の間から取り出された赤い箱。
うちのゴミ箱にはいつだって入っているその箱は、神楽ちゃんの好きな酢昆布。

まさか、まさか。

「買収しました」

てへぺろとかわいくない表情で、怒りすら涌いてくる。
神楽ちゃんの演技に騙された…。

うな垂れる僕の唇に、上体を少し起こした銀さんが口付けてご機嫌を治せと告げてくる。

「不安はねーけど不満はあったから、神楽が言ったことはあながち間違いじゃねぇよ」
「え?」
「新八の気持ちを疑ったことはねぇけど、求めてほしいと思ってんのは事実だ。だからちょっと試してみた。神楽も欲求不満解消して仕事探しに行くんなら手伝ってやるってさ。いい娘だろ?」
「神楽ちゃん…」

僕らのこと理解しすぎだよ。
でも、そんな神楽ちゃんがいるからこそ、お互いの気持ちを知ることができた。
焼肉は無理でも、からあげくらいならなんとかなるかな。
今晩はお礼に僕のを一つあげよう。

「で?」
「はい?」
「もう満足?」

僕が触れた唇を指でなぞられ、かっと体が熱くなる。
恥ずかしい。穴があったら入りたい。
なのに銀さんの腕は僕を離そうとはしてくれない。

「新八」

視線が答えを求めている。

ああ、まただ。
自分から頑張るって決意したところだっていうのに、銀さんから助け舟を出してもらってるんだから。

これ以上甘えることはできない。

起き上がった銀さんの首に両腕を回して、ぎゅうっと強く抱きつく。

「銀さん…」
「ん?」

甘い声。
優しい手つきで髪を撫でられる。

お昼まではまだ時間もある。
ゆっくり、一つずつお願いしよう。

今まで言えなかった、僕の望みを叶えてもらうために。









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