ふたり

□ふたり
2ページ/7ページ

そこは離れた島。
こんなに長居をするつもりなんてなかった。
ただ、ここはあまりに居心地がよくて。
つい、すべてを忘れてしまうところだった。
私が料理して、あの人の帰りを待つ。
それでもいいと思えてきた頃に一本の電話が入る。
あの人だと思って油断していた。

「戻ってこい」

凍りつくような冷たい声。
すぐに電話は切れてしまったけど その一言で十分だった。
低音声。有無を言わさない絶対的存在。
わかっていたじゃない。
こんなに幸せな日が 続くことなんてないことくらい。
胸が、キリリと痛い。

その日のうちに出る準備をした。
少しの洋服に、少しの雑貨。私のものなんてあまりない。
ふ、と彼が使っていた箸を入れる。これだけ、持っていこう。
写真もなにも持てないけど、これなら許されるだろうと。


朝一番に島から出る船のチケットを買う。
チケット売り場のおじさんは少し眠そうに眼をこすりながら対応してくれた。
「一枚」
まじまじとこちらを見ながらチケットを出してきた。
女一人がこんな時間に来るのは目立つのだろうか?
すこし選択を誤ってしまったかもしれない。
でも、急がねばならないし 堂々としていれば、なんとでも誤魔化せる。
大丈夫、大丈夫だ。

出港まで少し時間があるようだ。
待合室、とは名ばかりの 小屋にあるベンチに腰掛ける。
久々に缶コーヒーを飲んだ。
鉄臭い飲み物だったが今はこの暖かさが有難い。

あの人には何も言わないで、何も伝えないでここまで来た。
それで良かったんだと思う。
あの人はやさしい人だから、誰かが慰めてくれる。
いずれ彼が私を忘れたとしても 私が忘れなければいいのだから。

壁に掛った茶色い時計が4時を指した。
茶色と思っていたが、どうやら元の色は白だったらしい。
原形をとどめていないくらい、錆びているようだ。
チケットを確認する。
4時半には出港できるようだ。
今はただ、早くこの島から出ていきたい。



いきなり後ろから 抱きつかれた。
息がとまるくらい驚いた。

「どうしたんだ、ハル」
それは 愛しい彼だった。


頭がぐるぐる回る。
何が起こっているのか全く分からない。
ただ、彼は私を抱きしめて離さない。
「タツミチ・・。」
もう二度と逢えないと思っていた人がそこに居る。
もう呼ばれるはずのない名前が 呼ばれる。
強引に顔を引き寄せられる。
「どこにも、どこにもいくな」
震えながら私の頭を胸に押しやり、包むように抱きしめる。

町からここまでかなり距離がある
まっすぐにここへ向かわないと 今ここに居ないはず。
彼は息が上がっていた。

「帰ろう」と私に呼び掛ける。
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ