short story

□春の皮肉
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 ふ、と何かが頬を掠めていった。
一片の花びら、俺をのみこんでいた雑多な物事から、桜は実に風雅な手段で意識を引き戻した。



 風が吹く。
 その中に、笑い声が混じった気がした。
風のやってくる方を向けば、煌めきを帯びた花びらがひらりと駆け抜け、消えていく。


せんせい、せんせい

ぎんときくんがいけません
教科書のかわりにジャンプを読んでいます

せんせー、ヅラがいけません
告げ口という、侍にあるまじき行為をしました

高杉くんが牛乳を残しています

ふざけんな、これは、あれだ
いや、せんせい、後で飲もうと思っただけで


せんせい、せんせい


あの木まで競争

誰が速いか、ズルしないか

ちゃんと見てろよな、せんせい


 目に映る春の美しさが感傷を呼ぶに充分すぎるからか、それとも桜の季節に特に色濃い思い出が詰まっているからか、俺は花びらの柔らかい戯れの中にあの人がまだいたころの幻をみた。
 己の過去など、実際はなんら詩的でもなんでもない。たんに遊び、ふざけ、時として学び、そしていつも小汚かった。
 しかし、その中には今の自分の核となる何かが確かにあり、それが、ぐちゃぐちゃとして醜い今にあっても、己を辛うじて人間たらしめているのだろう。

 忘れえぬ師の教え。精神的なものに限らず、戦地を生き抜く術までもがあの人からの授かり物だった。
自分を救っている数々のものに彼は深く関わっている。
俺は今でもなお彼に助けられているのだ。
 なのに一方で、この場、時として地獄と見紛うこの場に、今立っている理由の一端は、まぎれもなく彼のためだった。






 耳の奥で、先生を呼ぶ自分の幼い声が未だこだましている。
 地面に広がっていた花びらが、風に舞い上げられた。

 たとえば、あの人は俺たちが剣を取ることを予想しただろうか。
いや、それを問うこと自体が愚かか。
銀時に高杉、そして俺の気性をわかっていた彼ならば、予想することなどいとも容易いだろう。

であるならば、ある意味感情に従い、己の魂に従った俺たちを、先生は咎めるだろうか。








「馬鹿者が」
 声に出して自戒してみた。
 風が枝を大きく揺らす。まるで桜自体が笑っているようだった。つられて俺も鼻で笑う。
 自分としたことが、くだらない思案をしたものだ。
なぜなら、たとえ誰に咎められようと、俺たちは進む道を変えはしなかっただろう。残念なことに、迷いすらないのだ。
答えは自明。
だから、この問いさえも愚問の域を抜けることはない。




 問答は四散する。

 思案につまづき、俺の前には春だけが残った。
日差しが温かい。
仕方がないので、俺は大きく息を吸った。
胸に春の空気が充満する一方で、手には刀の感覚がしっかりとある。
世界が最も穏やかにうつる季節に、俺は相も変わらず物騒なものを握っていて、その硬い感触は、溜め息をつけ、つけ、と俺に挑みかけてくるようだ。

 ただ、それを止めるだけの力を、春の景色は持っていた。
美しくて、とてもまばゆい。


 俺は顔を上げる。
まっすぐに世界を見た。
そうだ、思えば春が来ていたのだ。


 
春の中の春。

昔を辿るよすがの季節。







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センチメンタリズム
ギャグのない彼は果たして彼か。
攘夷時代でも現在でもどっちでも


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