新 連載

□プロローグ
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会議が真面目に白熱し、そして決裂するところをはじめて見た。
若い攘夷党員の一人が爆弾のように部屋を飛び出していった。それを、桂さんは立ち上がって呼び止めようとしたが、結局また座りなおす。
桂さんが「あの眼鏡っ…!」と若い党員に憤りを示したところまでは、私も他の浪士と一緒になって、まぁまぁ、と宥めていた。ただ、その後彼が、ふう、と大きな溜め息をついたときには、私は少しびっくりして動きを止めてしまった。
桂さんの目は少し遠くを見ている。
もう、そこに怒りはない。
あるのは、羨望……?










 イカ暦20011年―――(槍イカ部隊)

 戦況は悪化し、厭戦気分が高まっている。第二槍イカ部隊は斥候として敵地に赴くも、その後音信は無く、消息は不明。本隊もオクトパ星の奇襲により補給路を断たれ、持久戦を強いられている。戦艦・大王も執拗な爆撃に遭い、サブエンジンが炎上。浸水はなはだしく、艦を捨てることは免れ難い。

至急援軍を送られたし。
本隊が将軍に援軍を要請してから、既に一月が経とうとしている。兵も疲弊し、士気の低下も著しい。
この戦況を打破するには、最早、将軍直々の出陣をおいて他に無い。
本官は、伝説の将軍・イカ騎士(ナイト)の出陣を待ってやまない者である。










「私、よく、この人、見かける気がするのよねぇ」
「え、この人って、桂小太郎?」
「うん。公園で、よくラップを歌ってる人がいるんだけど、長髪で、丁度こんな感じ」
 
 幕府官庁内の女子トイレは、昼休みの歯磨きタイムで繁盛していた。私の隣で交わされる会話に、思わず耳をそばだてる。なんでもない振りをしながら、鏡越しに彼女たちの顔を見た。手元には手配書。至る所で配布されているわけでも無いが、公安職が多く集まる官庁には、割りと沢山の手配書が置いてある。

「それなら通報しなよ、お手柄だよ」
「それも考えたんだけどねー、でも本当に本人なのかなって」
「似てるんでしょ?」
「長髪で端正な顔しているところまではあってるんだけど、ラップだし…」
「ラップ…」
「見てよ、この手配書。この人が、ラップを踊り狂ってるところ、想像できる?」
 
 真剣な表情で見つめ返す手配書の桂小太郎が、「カツラップだYO!」と喋りだすことは無かった。彼女たちが、やっぱり別人だよね、そうだよね、じゃあ公園のラッパーは何なんだろう、さぁ、ただの馬鹿じゃない?と適当に結論付けてトイレを後にするのを、胸を撫で下ろす心地で見送る。よかった、とりあえず通報は免れた。さすが公安職の事務官だけあって、洞察力に優れている。ラッパーが桂さんであることも、ただの馬鹿であることも、どちらも正解だ。
 
 私は、桂小太郎を知っている。
彼を知るようになった詳しい経緯は説明するのがとても面倒なので割愛するが、私自身、幕府に身を置きながら、攘夷党にも顔を出すくらいの付き合いではある。
もう少し言うと、心も身体も知っているの……という関係である、か否かは言葉じりや行間を読んで察して頂ければ良いわけで、こういったデリケートな話題は敢えて語らずともよいし、むしろそういう下世話な話は私自身があまり口にしないタイプであるし、とにかく、割愛する。
 
 とりあえず、最近の桂さんの日課であった朝のラップ布教活動が通報を免れたので、私はほっとした。別に通報されたところで、すぐさま彼が捕まるわけではないけれど、その朝のラップ体操は、桂さんの大事な気晴らしの一つになりつつある。
なるべく、そっとしておいてあげたいのだ。

 なぜなら、桂さんは最近特に気に掛かる言動が多い。
いや、桂さんの行動がおかしいと言ったところで今に始まったことではないのだが、だからこそ、おかしさの種類は分かる。今回のおかしさは、例えば、例えば……。

 駄目だ。彼の奇行を例えるなんて、肝心な例が思いつかない。とうに人知の理解を超えていて、私などが捉えられるものではないらしい。
そう考えると、遙か昔に彼の行動が常人の理解を超えているのなら、今回改めて気にかける必要もないんじゃないかという気がしてくる。
どうだろうか。放置、しても大丈夫なのだろうか。いや、でも、初期症状を見逃すと命取りになるといった話も聞いたことがあるし。
やっぱり、仕事が早く上がったら、近いうちに万事屋さんに診てもらおう。万事屋の見立てが、桂さんの場合、一番正しい判断になるだろう。
彼らは付き合いが長いから。

 そんな日常の悩みはさておき、直近の課題として私は仕事に勤しまねばならない。
本来ならば公安職でも何でもない私が、その本丸ともいえるこの場にやってきたのは、そのせいだ。公安なんて精悍さを押し出しながら内で泥々している所など、できれば関わらずに通りたいものだが、贔屓にしてくれる御方がいるなら仕方がない。
私は鏡で居住まいを正して手洗いを後にし、その人物がいる扉へと向かった。


「松平長官」

 ノックの後、ドアを開くと、松平公はデスクに向かい黙々と大量の案件を処理、してはおらず、いわゆる社長椅子にどかりと座りながら、デスクとは真逆の窓から景色を眺めていた。声を掛けると彼は顔だけで振り返り、その後それは億劫そうにゆっくりと椅子を回転させ向き直った。破壊神はひどく面倒くさがりである。

「あれ、紫ちゃん、もうそんな時間?」
「はい。そろそろ開会のお時間ですので、準備をお願いします」

 この後、私たちは各星天人による定例会議を控えている。全ての星が集まる大きなものではなく、ご近所同士が寄り集まったサロン的な会合だ。そういった寄合は数多く開かれていて、その中で攘夷浪士の蛮行が話題に上がったりすると、松平公に説明を求める声がかかったりする。そして、長官にお呼びがかかった会議の雑用が私にまわってくるのは、ままあることだった。

「二時間」
「…はい?」
「いや、二時間で終わんねぇかなと思って」松平公はほぼ手ぶらで執務室を後にする。
「そしたらスマイルに直行できる」

死ね、エロオヤジ。と口走りそうなところを耐えた。

「先方の気分次第でしょうね」

忠実な部下であれば、尊敬する上司の煩悩のために、あれこれ立ち回ってきっかり二時間で会議を終了させるのだろう。だが、あいにく私は忠実でもないし、そもそも松平公直属の部下ですらない。煩悩に関しては御自分で善処して頂くしかない。

 というか、どれほど定刻通りの会議進行に努めようと、これから開かれる会議もといサロンでは、全てを左右する絶対的権力は天人の気分である。そこに理屈は存在しない。
天人気分至上主義。それが公然とまかり通るこの会議は、幕府の人間からは一、二を争う嫌われぶりである。
暗い廊下を抜け、会議室の前にたどり着く。
松平公にチラと目配せしながら、挨拶代わりのノックをした。

 毎週水曜日に開かれるこの扉の向こうの会議を、人は俗にアクアリウム会議と呼ぶ。



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