short story

□拍手文 R1.7.2〜R1.9.11
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OP連載 Cella独白


僕もね、小さい頃から先生のところに通っているんだよ。
初めは先生のご両親に色々教わっていて、先生も一緒にレッスンを受けていた。その頃はもちろん”先生”じゃなくて”姉さん”と呼んでいたかな。

でもある日、先生のご両親は急にいなくなった。その日は僕は熱を出して寝込んでいて、その話はあとから聞いたのだけど、大人の話はどれも要領を得なくて、いつも物をはっきり言う婆様まで言葉を濁した。
その頃は僕も今よりずっと幼かったわけだけど、それでも先生の身にとても辛いことが起こったというのは、なんとなく分かったよ。

その日以来、僕は先生のことを先生と呼び、先生もご両親に代わって僕らを教えてくれるようになったけど、無理をして元気に見せているという気が、ずっとしていた。なんとなくだけどね。
それに、ご両親の失踪だけじゃなくて、先生はもっと……。いいや、この話は。
え?何かって?駄目だよ、今は話せない。

けどさ、最近、先生は少し楽しそうなんだ。
そう、ロー兄さんが来てからだね。
先生はもともと綺麗だけど、なんというか、兄さんが来てからは、本当に花が咲いたような笑顔を見せるんだ。

僕もロー兄さんは好きだよ。
僕の父さんの服を着ているけど、そこから刺青が覗いているじゃない。
あれ、すごくかっこいいよね。
えっ、そうかな。僕はすごくいいと思うんだけど。

そうそう、午後のレッスン、大抵はみんな誰かとペアだけど、僕は週に1回僕だけのレッスンの日があるじゃない。この前のあの日、少し早めにレッスンを終わりにしたんだ。
え、ずるくないよ。まぁ先生やロー兄さんとお喋りしたいって気持ちはあったけどね。
あの時、多分僕はいいものを見た気がするよ…


*****


先生は干してあった洗濯物を取り込んだ後、ダイニングテーブルについて、何か作業をしていた。
時折顔をしかめて手を振っていたので、一体何をしているのかと僕は気になった。

「先生、何してるの?」
「これ?ローさんのジーンズ、破れちゃってるところを縫ってるの」
「へぇ、裁縫なんか珍しいから…。先生、大丈夫?ちょっと…」
「ん、ジーンズの生地って難しいのよ…」

先生はそう言いながら、針を返す際に誤って刺した指を擦りながら言った。
縫目も波打ち、お世辞にも上手とは言い難い。
すると、2階から降りてくる足音がした。
ロー兄さんだ。

「レッスン終わったのか」
「あ、ロー兄さん、終わったよ」
「そうか、おい、この続きの巻、知らねぇか」

ロー兄さんはおもむろに、持っていた本を先生に差し出した。
先生はその本を見ると、目をきらきらさせて言った。

「あら、”Vienna音楽院の華麗なる日常”上巻じゃないですか!中・下巻なら私の部屋にあります。私、前から読み返したくて上巻を探していたんですけど、どこにあったんですか」
「おれが使ってる部屋にあったぞ」
「それじゃ父か母がこっそり読んでいたのね。それにしても、ローさんも、そういう物語を読むんですね」
「いつも専門書ばかり読んでるわけじゃねぇからな」
「そうかぁ…上巻だと、次のコンサートのピアノコンツェルトのソリストを争って、EmilyとAnnaがバチバチやっているところぐらいですか」
「Emilyが今のままではAnnaに敵わないと悟って、何か決心したところだ。学園ものにしちゃ心理描写がえげつなくて、続きが気になる」
「あっ、じゃあ、まだLeonがEmilyに告白はして…」
「まった、言うな!まだ読んでねぇ」
「それじゃあ、戦慄の旋律の謎もまだ…ふふふ」
「おい、ふざけんな、言うんじゃねぇ!」

先生とロー兄さんは仲良く話し出し、ふと僕はここにいてはいけない気がした。
”Vienna音楽院”の話は有名で、多分Wienの人でも知っているくらいのものだったので、当然僕も読んだことがあったのだけれど、話に入るのはなんだか憚られた。

すると、ロー兄さんは不意に先生の手元を覗きこんだ。

「それはそうと、何をやっているんだ」
「あ、これですか?ローさんのジーンズの破れたところを……いてっ」
「馬鹿、見せてみろ」

ロー兄さんはそう言って、先生の手をとる。一方、先生は驚いて目を丸くした。
ロー兄さんは先生の指が出血していないことを確認すると、先生の手を離して代わりにジーンズと針を奪い取った。

「貸せ、おれがやる」
「えっ、私やりますよ」
「下手くそなのに無理するな」
「そっ、それは、そうなんですけど…」

先生は、全くの事実を指摘され、言いよどんでしまった。
その頑張りたいけど頑張りきれない様子が、なんとも可愛らしくて、ロー兄さんもそう思ったのか、少し微笑んだように見えた。

「縫い合わせるなんて、手術でもやってるんだよ」
「あぁ、言われてみれば…」
「人体はこんなんじゃねぇ。臓器はぬるぬるしているから……いっ」

ロー兄さんも指に針を刺したようで、指を凝視した。

「あら!ローさんも!?」
「うるせぇ、ジーンズの生地は難しいんだよ…」

僕はさっき同じような言い訳を聞いた気がして唖然とした。
その後も二人は自分がやるだの、やめとけだの、わいわいしていたので、僕は居たたまれなくなった。
でも、少し微笑ましいような、お腹の中があったまるような気持ちが同時にやってきて、僕は二人を見ながら苦笑した。

「先生、ロー兄さん、僕、そろそろ帰るね」

ようやく二人は僕がいたことを思い出したかのように、はっとこちらを見た。

「Cella、ごめん!お疲れ様」
「ううん、また明日ね」

僕は少し面白さを感じながら、先生の家を後にした。


*****


次の日、ロー兄さんはふにゃふにゃに繋がれたそのジーンズを履いていたんだよね。
僕、それを見て、とても心が暖まったよ。

えっと、何が言いたいのかって?
そうだね…。
先生とロー兄さんは、一緒にいると、とっても嬉しそうなんだよね。

え、バカップル?
あぁ、そうだね。
こういうのをバカップルっていうのかな。
ちょっとまだ早い気がするけど、そうなればいい気もするな、バカップル!



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