パラレル小話(セカコイ)

□砂漠の恋のエメラルド
2ページ/24ページ

それでは俺は帰ります。また明日の会見の前には来ますので。
吉野はそう告げると、頭を下げて、出て行こうとする。
羽鳥は思わず「待てよ」と声を上げていた。

羽鳥芳雪は商談のために、同僚の高野政宗と共に砂漠の国を訪れていた。
目的はこの国の資源である、石油と鉱物資源だ。
羽鳥が在籍する商社は、すでにこの国から原油を輸入している。
幸いにも会社の業績は順調なので輸入量を増やし、さらに新たに鉱物資源も輸入したい。

だが問題はあった。それはここ最近の円安だ。
石油の輸入はドル建で行なわれている。
つまり円安になればなるほど、会社にとって負担が大きくなる。
だから輸入量を増やす代わりに、単価は下げてほしい。
それを交渉するために、羽鳥たちはここへ来たのだ。

この国の資源を扱う会社は、1つだけ。
国が管理する、いわゆる国営の会社だ。
経営をつかさどる最高責任者は、国王。
つまりマリク・エメラルドはこの国の政治だけでなく、経済も司っていることになる。

かくして到着早々、羽鳥と高野は王宮の謁見室に案内された。
いかにもアラブという風情の豪華な調度品。
そしてテーブルと椅子もこの国の伝統の細かいアラブ細工が施されたものだ。
羽鳥は椅子に座り、テーブルの上でノートパソコンを立ち上げる。
とりあえずなるべく部屋の中は見ないことにしようと思った。
これだけアラブな雰囲気に囲まれると、ビジネスモードになりにくい。

マリク・エメラルドは大きなテーブルを挟んで、羽鳥と高野の対面に座った。
そして通訳の吉野が、マリク・エメラルドの隣に控える。
まずは高野が立ち上がり、挨拶の言葉を述べようとした。
だがマリク・エメラルドはボソボソと吉野に何かを告げて、ゆっくりと首を横に振る。
吉野はそれを聞いて、苦笑いの表情になった。

余計な挨拶はいいので、さっさと用件に入ろうとおっしゃってます。
吉野は申し訳なさそうに、そう言った。
さすがに商談とはいえ、国王との謁見。
だから高野は簡単な挨拶だけは、アラビア語で言えるようにしてきたのだ。
それをあっけなく潰されて、高野も羽鳥も思わず鼻白んでしまう。
だが若き王は高野と羽鳥に、冷やかな視線を返すだけだ。

では商談に入りましょう。
高野は気を取り直して、そう告げる。
吉野が耳元でそれを通訳すると、マリク・エメラルドは尊大な態度で頷いた。
美貌の王は、ニコリともしない。

石油の輸入量を30パーセント増やしたいのです。
そして新たに鉱物資源の輸入も、始めさせていただきたい。
高野は真っ直ぐな直球で、用件を告げた。
マリク・エメラルドは回りくどい言い回しが好きではない。
高野はそう判断したのだろう。

マリク・エメラルドは、真っ直ぐに高野を見ながら、吉野の言葉を聞く。
そして短く1つ頷くと、アラビア語で何かを告げた。
吉野はそれを聞いて「え?」と声を上げて、マリク・エメラルドの顔を見る。
マリク・エメラルドは咎めるような目で吉野を睨むと、また何かを告げた。
すると吉野は、申し訳なさそうな表情で、高野と羽鳥に向き直る。
どうやら聞き取れなかったのではなく、内容が信じられなかったのだろう。

輸入量を増やすのであれば、単価も上げたいとおっしゃっています。
現在の価格の倍にしてほしいと。
それから新規に輸入する鉱物資源の方ですが。

吉野はそれだけ告げると、メモ用紙に何か数字を書きつける。
そしてそのメモを、高野の前に滑らせた。
高野がそのメモを取り、羽鳥は横から覗き込む。
そして期せずしてほぼ同時に「は?」と抗議の声がハモった。

メモに書かれていたのは、石油と鉱物資源の輸入価格だ。
石油の価格は確かに倍額。
そして鉱物資源の価格も、かなり高めだ。
どちらも国際的な標準価格を考えると、常識外れとさえ言える値段だった。

あまりにも高すぎます。
他の国の平均的な取引価格とかけ離れ過ぎている。
高野がそう告げると、吉野がまた通訳した。
するとマリク・エメラルドは冷たい目で高野と羽鳥を見る。
そして何かを言おうとしたが、結局何も言わなかった。
王宮の外から、乾いた破裂音のようなものが響いたからだ。

羽鳥は一瞬花火かと思った。
だがもちろんそんな明るいものではない。
平和な日本人には決して聞き慣れないその音は、銃声だ。
マリク・エメラルドは吉野に向かって何事か告げると、席を立った。
そして高野と羽鳥を一瞥さえせずに、部屋を出て行ってしまった。

商談はまた明日。
今日はこの王宮でくつろいで下さいとおっしゃってました。
外で銃撃戦が始まったようなので、対応しないといけないんだと思います。
吉野はそう告げると、羽鳥と高野に頭を下げた。
高野は「了解した」と答え、羽鳥も頷く。
吉野は「大変ですね」とねぎらうように苦笑した。

それにしても、何とも手ごたえのない話し合いだった。
羽鳥はものの数分で終了してしまった先程の会見を思い出して、顔をしかめた。
マリク・エメラルドは高圧的であり、金額交渉に至っては、無謀だ。
もしかして自分たちを怒らせて、取引を止めたいのではないかと勘繰りたくなるほどだ。

それでも険悪な雰囲気にならずにすんだのは、通訳の吉野のおかげが大きい。
始終申し訳なさそうな口調で、あくまでも穏やかな態度。
こんな国で通訳ガイドをしているから、肝が据わっているのかもしれない。
自分とはまったく違う環境で頑張る青年を、羽鳥は好ましいと思う。

それでは俺は帰ります。また明日の会見の前には来ますので。
吉野はそう告げると、頭を下げて、出て行こうとする。
羽鳥は思わず「待てよ」と声を上げていた。
すぐそこで銃撃戦が行なわれているのに、帰って大丈夫なのか。
羽鳥は思わず「お前も王宮に泊まったら」と言ってしまう。

大丈夫です。市街地での銃撃戦には慣れています。
それにマリク・エメラルドは、商談のお客様以外は王宮に泊めませんから。
吉野はそう告げると、今度こそ部屋を出て行ってしまった。
その後ろ姿を見送りながら、何とも不安な気分になった。

通訳を務めた青年を、こんな銃弾の飛び交う街へ帰らせるなんて。
いくら慣れているといっても、危険だ。
不安な気持ちは、徐々に怒りに変わった。
そして翌日、再び王宮で吉野の姿を見るまで、羽鳥は落ち着かない夜を過ごすことになった。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ