短編(アイシ・ヒルセナ)

□あの雨の日に
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栗田良寛は蛭魔妖一が教室の窓からじっと校庭を見下ろしていることに気がついた。
視線を追ってみる。
そこには雨足が一段と強くなった校庭でラダードリルでステップの練習をする後輩。
心臓が鷲掴みにされたような気がした。いつのまにか目頭が熱くなっていた。
試合に出るのは怖いと泣きそうな顔をしていた1年生。
でも昨日の試合で彼は天才ラインバッカーをたった一度だけど抜いた。呆然とさせた。
彼は何かを掴んで階段を1段上がったのだ。
未だに試合が出来るほど人数もいないアメフト部だけど、あの小さな少年によって変わる。
どんどん夢に向かって進んでいける。彼を見ていると何故だかそう思えるのだ。
栗田は自分の荷物からタオルを取り出した。蛭魔が無言で自分のタオルも投げてよこした。
2枚のタオルを掴んで栗田はドスドスと教室を出て、階下に降りて行った。
小さな英雄を労わるためだ。

蛭魔妖一は紙袋を抱えて教室に戻ってきた。
ずぶ濡れ、泥だらけになった手のかかる後輩は栗田によって全身を拭かれていた。
小さな声で「迷惑かけてすみません」と繰り返している。
まったく後先考えないにも程がある、と悪態をつきながら紙袋を放り投げた。
中に入っていたのは新しい制服だった。
どうしたんですか、これ?サイズ大丈夫ですかね?お金とかは?とかいう後輩。
ケケケと笑い、黒い手帳をちらりと見せて黙らせた。
調達方法や代金について考えることは放棄したようだ。
メンドクセーと言いながら、蛭魔の顔には楽しげな笑みが浮かんでいる。
拭いているタオルがすっかり限界まで水気を吸い込んだようだ。
栗田がタオルを交換してまた後輩をガシガシと拭く。
蛭魔はそのタオルを見て微かに目を見開いた。
タオルには「武蔵工務店」とプリントされていたからだ。
この小さな光速の足を持つ少年によって、デビルバッツはいい方向に向かっている。
蛭魔はあいかわらず「すみません」を繰り返す後輩の声を聞きながら、窓の外に目をやった。
雨足はかすかに弱まってきたようだ。

あの雨の日に。
後に光速のエースとなる少年を起点にデビルバッツの初代メンバーが繋がったことは誰も知らない。

【END】
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