パラレル小話(アイシ)

□Cleaning Boy
1ページ/12ページ

何だ、この部屋。
あまりにも生活感のない部屋を前にして、セナは途方に暮れた。

小早川セナは、家事代行を行なう会社で働いている。
客からの依頼を受けて、プランに応じた家事をするのだ。
セナの得意分野は清掃、つまり掃除だ。
自分の手で綺麗になっていく部屋を見るのは、大好きなのだ。
だが簡単なものなら料理だって作れるし、買い物だとか洗濯もすることがある。

そして今回の仕事場は、高級マンションだった。
都内の一等地中の一等地、セナのような庶民は余程の事情がなければ、来ることのない場所だ。
ここまで来るのに使ったのは、会社の車。
ごくごく一般的な車で、普通に都内を走る分にはまったく問題ないが、この街では浮きまくっていた。
何しろ指定されたマンションの駐車場にあったのは、ドイツ車ばかりなのだ。

車を降りたセナは、どうか誰にも会いませんようにと思う。
なにしろ服装が、またこの街では浮きまくるからだ。
初めての場所なので、セナが持っている服の中ではまぁまぁ高い服で来た。
だけどいわゆるファストファッション、つまり低価格で有名な衣料品店のものだ。
依頼人宅で作業服に着替えさせてもらうつもりだったが、次回からはいっそ作業服で来た方がいいかもしれない。

セナは掃除道具一式を抱えると、マンションのエントランスに入った。
駐車場に入る時に8桁の暗証番号が必要だったが、マンションに入るにはさらに別の12桁の暗証番号がいる。
セナは携帯電話を見ながら、それを打ち込んだ。
依頼人は合計20の数字と、入力の方法をメールで知らせてきたからだ。

何とかエントランスに入ると、次の難関はエレベーターだ。
これは預かっている鍵を差し込んだうえで、目標の階を押す。
鍵と回数が一致しないと、エレベーターは停止してしまう。
つまり目標の階のボタンを押し間違えると、マンションの管理会社に連絡が行くらしい。
壁の薄いアパートに住むセナには、信じられないほどのセキュリティだ。

目的の部屋は最上階だった。
まるまるワンフロアが依頼人の部屋だ。
ここには先程使った鍵とカードキーが必要になる。
まったく物騒な世の中とはいえ、部屋に入るまでにどれほどの手順が必要なんだ。
ため息をつきながら、ようやく目的の部屋に入ったセナは一応「泥門家事代行サービスです」と声をかける。
だが不在なのはわかっていた。
依頼人は直接顔を合わせたくないという意向で、留守宅に入ることになっていたのだ。

ドアを開けると、白い玄関が見えた。
庶民のセナにはわからないが、大理石と言うやつではないかと思う。
そしてマンションにしては長い廊下を抜けると、奥がリビングだった。
ここでセナは呆然とした。広い。広すぎる。
このリビングにセナの小さなアパートの部屋がいくつ入るのか。

そしてまるでモデルルームのように、洒落た家具や調度品が並んでいる。
これも庶民のセナにはわからないが、高価な品物ばかりなのだろう。
掃除するときには、傷をつけないようにしなければ。
下手をすると、給料以上の弁償をすることになってしまう。

少しだけ失礼します。
セナはまた誰もいない部屋に小さく声をかけると、この部屋の中を見て回った。
別に興味本位ではない。
初めて来る部屋なので、間取りだけは知っていたが、実際に見るのは初めてなのだ。
依頼はすべての部屋の清掃だから、事前に各部屋を見ておいた方がいい。
こうしてどこをどれだけ掃除するかを見極めて、効率的に綺麗にする方法を見極める。
それがセナのやり方だったのだが。

何だ、この部屋。
あまりにも生活感のない部屋を前にして、セナは途方に暮れた。
それなりに生活用品が整っているにも関わらず、生活感がまるでないのだ。
特に如実なのは、キッチンだ。
鍋やら皿やらが揃っているし、一般家庭にしてはかなり大きな冷蔵庫が設えられている。
だがシンクはまったく濡れていないし、汚れていない。
つまりまるで調理をしている痕跡がないのだった。

他の部屋も同様だ。
バスルームも使用した痕跡はないし、最新型の洗濯機や乾燥機も同様だ。
もしかして、引っ越してきたばかりなのだろうか?
いやそれにしても何かが変だ。
違和感があり過ぎるのだが、その正体が何だかわからない。

だがやがてセナは考えることを放棄した。
依頼人には依頼人の事情があるのだろう。
詮索するより、手を動かした方がいい。
セナは持参した作業着に着替えると、掃除を始めた。
部屋に入ったのは午後1時。
午後5時までの4時間で部屋全体を清掃するように言われている。
だがこの分では、かなり早く終わってしまうだろう。

セナは掃除機をかけて、床や家具を拭き上げて行く。
ピカピカのシンクやバスルームを掃除するのは、少々空しかったが、これも仕事だ。
だが2時間程ですべて終わってしまった。
その他にできるところはないかと見て回ったが、見つけられなかった。

セナは既定の書類を取り出した。
留守宅の清掃の場合は、どこを掃除したかメモで申し送りすることになっている。
それを記入した後、備考欄に「2時間しかかからなかったので、多い分は返金します。」と記入した。
そして「小早川セナ」とサインを入れると、私服に着替えて部屋を出た。
帰りは行き程手間取ることなく、車に戻ることができた。
そして居心地の悪い高級住宅街を抜け、庶民の街へと戻って行く。

セナが車を出してから、きっかり10分後、
部屋の主が戻ってきた。
もちろんセナが出ていくのを確認したからだ。
そしてテーブルの上に残されたメモを見て、ニヤリと笑う。

今回清掃を担当したのは、随分良心的な人物のようだ。
まったく使っていないキッチンやバスルームまで、きっちりと清掃している。
手を抜かずにしっかりと仕事をして、しかも早く終わった分は返金とは。
部屋の主は、ノートパソコンを立ち上げると、ネットにアクセスした。
この部屋にはいくつもカメラが仕込んであり、リアルタイムで録画されている。
そのデータを再生して「小早川セナ」が掃除をしている様子を確認した。
最初は部屋を見て回り、その後、丁寧に掃除している姿が映し出された。
休むことなく丁寧に掃除機をかけて、床や家具を拭く男は、少年と言っていいほど童顔であどけない顔をしていた。

小早川セナか。
部屋の主は、報告書の署名と映像の少年を見比べながら、ニンマリと笑った。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ