パラレル小話(セカコイ)

□Net Cafe
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俺の人生って、こんなのばっかりか。
ようやく事態を把握した吉野は、途方に暮れるしかなかった。

人生には良いことも悪いこともあり、おおむねプラマイはゼロなのだと聞いたことがある。
だが吉野千秋は、そんなことは嘘だと思っていた。
少なくてもここまでの吉野の人生は、マイナスだ。
それは別に思い込みではなく、彼の人生を知る者は誰でもそう思うだろう。

発端は友人の借金の保証人になったことだった。
名前だけ貸してくれという、わかりやすい騙し文句に見事に引っかかった。
そこから先はお決まりの展開だ。
督促状が届き、慌てて名前を貸した友人にメールするも、すでにそのアドレスは存在せず。
電話だって、つながりやしない。
困っているうちに自宅に借金取りが来るようになった。

かくして人生の歯車は狂った。
借金を返すために、親から送られてきたばかりの大学の学費に手をつけたのだ。
不幸中の幸いなのは、とりあえずこれで借金はなくなったので、タチの悪いヤミ金に追われることはなくなった。
だが学費がなくなった以上、このままでは大学にはいけない。
正直にこのことを打ち明ければ、親はきっとまた金を送ってくれるだろう。
だが吉野の実家はさほど裕福ではないのに、吉野と妹の学費を出してくれている。
これ以上負担をかけることはしたくない。

元々お人好しなので、学生時代から損は多かった。
面白半分のちょっとした嘘にだまされたり、掃除などの当番など面倒なことを押し付けられたり。
だから大丈夫。慣れてる。
今回は少々ハードだが、何とか乗り切って見せる。
吉野は働いて、使ってしまった学費を稼ぐことに決めた。
生活費を浮かせるために、とにかく切り詰める。
その結果、アパートを引き払って利用することになったのが、このネットカフェだ。

いらっしゃいませ。
その日も吉野は穏やかな声に迎え入れられ、ネットカフェに入店した。
ナイトパック、税込み980円と都内でも格安の店なのだが、店員が親切なのがいい。
しかもほぼ毎回受付してくれるこの男性店員は、嘘みたいに美人なのだ。
年齢は吉野とほぼ同じくらいだと思うが、立ち居振る舞いは優雅だし、緑がかった綺麗な瞳はどこかミステリアスだ。

お席はBの12番をどうぞ。
カウンター越しに、美人店員がにこやかな笑顔で案内してくれる。
だが吉野は「え、オレ、普通の席でいいんですけど」と焦った。
美人店員が示した席番は、ゆったりとしたリクライニングシート。
吉野の言う普通の席、この店ではフラットシートと呼ばれているが、そこよりも300円高い。
少しでも金を貯めたい吉野にとって、300円は痛かった。
すると美人店員は身を乗り出すと、吉野の耳に口を寄せた。

今日はフラットシートがいっぱいなんです。
だからフラットのお値段で、リクライニングにご案内します。
美人店員が吉野にだけ聞こえるヒソヒソ声で、そう言った。
吉野は思わず「いいの!?」と叫んでしまう。
すると美人店員は唇の前にそっと指を立てて、吉野に静寂をうながす。
そして「いつもご利用いただいてますので、サービスです」と悪戯っぽく笑った。
美人店員はそんな仕草も絵になっていて、本当にこんな場末のネットカフェにいるのが信じられない。

ありがたくリクライニングシートに落ち着いた吉野は、すぐにウトウトし始めた。
バイトを3つこなして、本当に疲れていたのだ。
早く寝たい。でも寝る前にシャワーを浴びなきゃ。
でもやっぱり眠い。5分だけ寝てからシャワー。。。
誰が聞いているわけでもなく、そもそも口に出してもいない。
それなのに何となく言い訳するような口調で、吉野はうたた寝を始めた。

ええ。はい。吉野様は今、Bの12番にいらっしゃいますけど。。。
5分のつもりで1時間ほど眠ってしまった吉野は、その声で目を覚ました。
さほど大きな声ではないが、やはり自分の名前には反応してしまうのだ。
聞き覚えのあるそれは、もちろんあの美人店員の声だ。

何だ?
半分寝ぼけていた吉野は、夢うつつの状態でドスドスという足音を聞いた。
次の瞬間、いきなり大柄なスーツ姿の男が吉野のブースを覗き込む。
いきなりクマのような顔の男がドアップになって、吉野は「うおお!」と叫んでしまった。
おかげで一発で目が覚めた。

署まで来てもらおうか。事情を聞きたい。
クマ顔の男は、吉野の顔の前に何か細長い物を差し出した。
吉野は思わず「うわ、本物?」と声を上げた。
それは警察手帳だった。
金属製のポリスと書かれた逆三角形のバッチがついている。
そしてクマ顔男の顔写真と「警部補、横澤隆史」と書かれた名札。
だがそんな呑気なことを言っていられるのも、そこまでだった。
無言で手首を掴まれた瞬間、自分に何かの容疑を掛けられていて、かなりまずい立場にいるのだとわかった。

俺の人生って、こんなのばっかりか。
ようやく事態を把握した吉野は、途方に暮れるしかなかった。
まさか親からの金を黙って使ったことは犯罪になるのか。
それとも知らないうちに、何か法に触れることをしてしまっていたのか。
だが次の瞬間「待ちやがれ!」と勇ましい声が割り込んできた。

うちのネットカフェからハッキングがあったとしても、絶対にこの人じゃない。
この人にそんなスキルはないんだからな!
啖呵を切ったのは、まさかのあの優雅でミステリアスな美人店員だ。
そしてさらにクマ顔刑事を睨み上げると「このヘボ刑事!」と悪態をつく。

ハッキング?俺が?
あまりにも現実味がない容疑に、吉野は唖然としながらクマ顔刑事と美人店員を交互に見た。
美人店員が「そんなスキルはない」と言い切ったのは、もしかしてけなされたのか。
吉野がそんなことに思い至ったのは、かなり後になってからだ。
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