パラレル小話(アイシ)

□好手か悪手か
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負けました。
その宣言と共に敗者が頭を垂れ、勝者も静かに一礼する。
周囲がどよめくその瞬間を、セナはどこか冷めた気分で受け止めていた。

小早川瀬那はプロ棋士。
つまり将棋を指すことを生業としている。
人からはよく「好きなことを仕事にできてうらやましい」などと言われる。
だがセナはそのたびに曖昧に笑うしかなかった。
それが幸せなのかどうか、セナにはまだ判断できないからだ。

ちなみにセナは現在、20代を折り返したばかり。
そろそろアラサーに差し掛かる年齢である。
世間一般には、まだまだ若いと言えるだろう。
だがセナは棋士としての自分の未来は知れていると思っている。

同業者の中には、有名人もいる。
最近話題なのは、2つ目のタイトルを手にした高校生棋士。
または30年近くタイトルホルダーだった、寝ぐせで有名なベテラン棋士。
そして「××みん」という愛称で呼ばれる、往年の名棋士。
そんな誰でも知っている棋士はみな天才だ。
彼らは別次元の天空にいて、自分は地べたを彷徨っている。
それがセナの自己評価だ。
それでも淡々と棋士としての仕事を全うするセナに、ある依頼が舞い込んだ。

なんでボクなんです?
依頼の内容を知らされたセナは思わず声を上げる。
そして「将棋界の恥になりませんか?」と聞き返した。

セナに来た依頼はAIとの対局だった。
新進気鋭のITベンチャーが開発したAIだという。
もちろんセナ個人への依頼ではなく、受けたのは将棋連盟だ。
そして対局相手の棋士として、セナが選ばれたのである。

お前なら勝てるんじゃないかって話だった。
セナに伝える役目を振られたのは、師匠の酒奇溝六だった。
それを聞かされたセナは思わず苦笑した。
わかりやすい建前だ。
溝六は聞いたままを伝言したのだろうが、そもそもが嘘なのだ。

セナより強い棋士はいくらでもいる。
将棋界が威信をかけるなら、絶対に対局するのはセナではない。
ここで注目するのは、申し込んできたのは名もなきIT企業であること。
例えば国家機関や有名大手などが作ったAIなら、敗北してもやむなしと思える。
だが無名の相手に負けたら、面子が傷つくのだろう。
だから有名な実力派棋士ではなく、セナに白羽の矢が立ったのである。

嫌ならことわってもいいぞ?
なんならオレがやってもいいしな。

心優しき師匠はそんなことを言ってくれる。
だがセナは「やりますよ」と答えた。
考えようによっては、気楽ではあるのだ。
勝つことを特に期待されていない対局で、おそらくギャラも出る。

そしてやって来た対局日。
場所は都内某所のイベントホールだ。
セナの正面には妙に雰囲気にある和服の男が座った。
正直なところ、風貌だけならセナよりもよほど棋士っぽい。
だが彼は将棋は駒の動かし方を知っている程度の知識しかないそうだ。
耳には大きめのイヤホンが嵌っており、ここから指示を受けて指すのだと言う。
ちなみに対局後、この男はセナと1歳違いと聞き「すごい老け顔」と仰天したのだが。

かくして対局が始まった。
通常の対局と違い、時間制限は特に設けないそうだ。
だがセナは時間を置かず、淡々と指していく。
AIはほぼノータイム、間髪置かずに次の手を打って来る。
そのせいで、セナが長考していいような雰囲気ではなかった。
何よりおそらくAIが勝つと思っている者の方がはるかに多いだろう。
セナ自身でさえそう思っており、さっさと終了したい気分だったのだ。

そして開始から約3時間後に、勝負は決した。
敗者は「負けました」と宣言し、頭を垂れる。
そして勝者は、それを受けて静かに一礼した。
今まで何回となく迎えた投了の瞬間だ。

その瞬間、会場はどよめいた。
今日は普段の対局より、マスコミが多い。
AIとの対局ということで、将棋関係以外の記者も集まっているからだ。
そんな彼らが「小早川五段が勝った?」「嘘だろ」「大番狂わせだ!」と叫んでいた。

もしかして人生最大のモテ期ってヤツ?
記者に囲まれながら、セナは苦笑していた。
AIに勝ったのだから、今日明日くらいはうるさいかも。
セナの認識はそんなものだった。
まさかこの対局で運命が変わるとは、思えなかったのである。
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