Glare5

□緩やかな午後
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「…おや、」



久しぶりに手に取った詩集からひらりと落ちてきた一枚の写真を見て律は僅かに目を丸くさせた。
いくらか色褪せたそれに写るのは十数年前の自分とその当時所属していた部隊の仲間たち、こちらを睨み付けるような目をしながら敬礼をしている過去の自分に思わず笑いが零れる。
兄のように慕っていた従兄弟が死に、彼の軌跡を辿るように軍人学校を卒業した後東軍に入隊した。
女性軍人など存在しなかった当時はありもしない噂を立てられたものだ。
今日の彼女の二つ名である"紫眼の魔女"も、元々は根も葉もない噂から生まれた蔑称だ。
女であるが故に蔑まれていた律を軍人として見てくれる人物がたった一人だけいた。
彼女が今も軍人であるのも彼のお陰だと言っても過言ではない。
総統の位に上り詰めても尚尊敬してやまない彼の名前はウィントリー・アコニットマン、誇り高き妖魔軍人だった。













あれは17歳の時のこと、私は戦地にて初めて人を殺めた。
今までどんなに罵られても、どんなに蔑まれても平気だった。
しかし私の放った弾が敵の脳天を撃ち抜いたのを確認したとき表現しがたい気持ちに支配された。
後悔、嫌悪、恐怖。
それらは蛇のように私に絡み付き喉元を絞めあげる。
軍部に友人はいなかった、蔑称でしか私を呼ぶことのない奴らを友と見なすなどこちらから願い下げだった。



「にいさま…っ」



人気のない薄暗い倉庫の中、埃臭さなど気にもせずに膝を抱え震えていた。
血飛沫を上げながら倒れていったあの光景が脳裏では何度も繰り返され、律は強く唇を噛む。
しかしいくら痛みを与えても記憶は鮮明に甦り、唇からは血が滲み始める。
それでも律は唇を噛み続け、いよいよ食いちぎってしまうのではないかと言うところで倉庫の扉が開く音が響いた。
眩しさに目を細めながらも確認したその人に私は目を見開た。



「アコニットマン、部隊長…。」



漆黒の瞳が私を射抜く。
此処へ来ることが最もないであろう人物が立っていたのだ。
私は驚き、戸惑い、焦った。
唇を強引に拭うと立ち上がり、いくらも背の高い彼を見上げる。
幸いにも、声は震えなかった。



「…私に何かご用でしたか?」

「用?用がなかったら部下の元へ行ってはならないのか?」

「用も無しに私のような者の元へいらしては妙な噂が湧きますよ。」

「ふん、噂など好きにさせておけば良いのである。」



ああ言えばこう言う、とは彼のためにある言葉なのかもしれない。
淡々とした調子で返される言葉に小さく溜め息を吐く。
それと共に唇がぴりりと痛み、思わず指を当てれば彼は読めない表情で私を一瞥すると落ち着いた調子で尋ねてきた。



「御人は他者の命を摘み取った自分が怖いか?」

「…。答える義務はありません。」

「では言い方を変えよう。部隊長命令である、先の問いに答えろ。」

「…。」

「答えたまえ、吾妻律。」

「…怖いに決まっているでしょう!?私は国を護るために軍人になった、人殺しになるつもりはなかった!!」



大声を出したのなんて何年ぶりだったろうか、彼を睨み付けながら私は叫んだ。
戦地へ赴いた私の愛する従兄弟は敵兵の銃弾によって帰らぬ人となった。
そんな彼が口癖のように繰り返していた"殺さずして国を護りたい"と言う言葉を実現させるべく私は女の身でありながら軍人学校へと入学したのである。
殺さずして、嗚呼、何という理想だろうか。
それを実現させることは容易ではないと言うに当時の私はそれを出来ると信じて疑わなかった。
決意が強固なものであってもまだまだ未熟だった私は一発の銃弾によって痛い程に現実を思い知らされたのだ。



「…ふむ、紫眼の魔女だの誘惑者だの言われても所詮は小娘か。」

「貴方に何が分かる!?私は兄を殺めた奴共と同じ行為をしてしまったんですよ!!」

「御人の論でいくと我が輩も愚者か、これはこれは愉快なことだ。」

「からかうのは止めていただきたい、アコニットマン部隊長!!」

「からかう…?」



彼が小さく呟いた途端、ぞわりと背筋に冷たいものが走った。
常に冷静だとか表情が無いだとか言われているが今の彼を見たら十人中十人が怒っていると思うだろう。
凍てつくような殺気を放ちながら彼は続ける。



「我が輩はからかってなどいない。寧ろ御人の方が我が輩をからかっているのではないか?」

「な、にを…!」

「我が輩は今ここに至るまでに幾人も殺めてきたし、幾人もの友人が戦場に散っていくのを見てきた。愚者に殺された?ふざけるのも大概にしたまえ、彼らをなんだと思っているのだ。」


「私はただ、」

「御人の言葉は彼らの想いを踏みにじっているも同然である。誰かを殺めたことを否定するなどその者の存在自体を否定する行為、死の重圧に耐えられんのであれば即刻軍を去れ。死と、散っていった者達の想いをその胸に抱くことが出来ない輩に用はない。」

「…っ。」

「散っていった者には御人の慕う兄上殿も含まれるのだぞ?吾妻律、御人は兄上殿の存在すら否定するつもりか!!」



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