古今妖怪物語

□句句廼馳の話(後編)
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赤く猛る炎に包まれた崖の下に、小さな体が転がっていた。





小平太の腹から、赤いものがだくだくと流れ出ている。
その赤いものが流れるごとに、小平太の温かさもなくなってゆ
く事がわかった。
落下の衝撃で気を失ったのだろうか、小平太はピクリとも動か
ない。

句句廼馳は眼下の村を見回して、誰か山へ来そうな者はいない
か探した。
しかし、ただでさえ険しい北山に来る者はいないうえ、今は山
火事の火もまだ収まっていない。
誰一人、小平太を探しに来てくれる者などいなかった。

そんな状況を嘲笑うかのように、天から身の凍るような冷たい
雨が一粒、二粒、小平太の体を叩き始めた。

これでひとまず火は弱まるだろう。

が、それと同時に小平太の体温も急激に奪っていく。





このままでは小平太は確実に死んでしまう。

あの温かいものが、消えてしまう。



どうしたらいいのだろう

どうしたら、この子供を救えるのだろう



そんな句句廼馳の頭を、ふと一つの考えがよぎった。





『この手を離せばいい』





句句廼知は神より造られた巨大な生き物だ。

彼がちょっと手を伸ばせば難無く小平太を村まで運べるだろう。

至極簡単な事だ。



だが、その簡単な事が句句廼馳には出来ない。

この手を離せば瞬く間に天はこの地上全てを押し潰してしまう。

小平太どころか、この世の全てのものが無と帰すだろう。
それだけは、絶対にしてはならない。





「………駄目だ……。俺には……出来ない…………。」


句句廼馳は目の前で消えていく命の灯火に、なすすべも無く嗚
咽を漏らして泣いた。
そうやって流れる涙を、己の手で拭う事すら彼には出来ない。


句句廼馳は、己の無力さが悔しかった。
例えこの地上全ての命を支えていたとしても、目の前のたった
一つの命を助ける事すら、自分には出来ない。
それが例えどんなに自分にとって大切な命であろうと。





雨はいつの間にか土砂降りになっていた。

小平太の顔はすっかり血の気が引いた青白いものになっていて
、見ているだけで寒々しい。
ただ荒く繰り返される呼吸だけが最期の抵抗のように熱かった。





小平太はその顔で、口で、声で言った。


『お前、俺の友達にしてやるよ!!』


『そしたら村長が『お前の体力には恐れ入った!』って!!』


誰一人信じてくれなくたって、小平太は句句廼馳の存在を認め
てくれた。
駄目だと、無理だと言われても、小平太は一人でこの北山に入
り、登りきった。


『勿体無いよなー、こんなに句句廼馳と話すの面白いのに!』








自分はどうだろうか。

やはりこの手を片手でも離したら、重みで負けてしまうのだろ
うか。
この手を離したら、自分の大好きなこの世界は潰れてしまうの
だろうか。





…でも……、俺は………―






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