L'ecrin-レカン-
□恋に溶けて君に溺れて
2ページ/3ページ
夏の陽射しを申し訳程度に遮るレースのカーテンが、時折窓から入って来る風でユラユラと揺れる。
淡くなった陽射しが揺れる。
ゆるゆると頬を撫でる風は温い。
「暑ィなぁ」
先程から『暑い』しか言えない。
恋人の家に来てそれしか言葉はないのかと、ツッコミ役は生憎俺以外に誰もいない。
一人ツッコミ程つまらないものはない。
代わりにいつもは天然ボケの恋人から、思いも寄らないツッコミが届いた。
「なら、離れた方が涼しいんじゃないかしら?」
私は嬉しいからこのままの方が良いけれど。
と、珍しく意地の悪い台詞が涼しげな声に乗せて、頭の上から聞こえた。
「んー?」
言われた俺は見上げると、ダラけていた手を俺の身体が乗っかっている太股まで持って行き、肘でも掛ける様に手をかけた。
一瞬ピクリと頭に当たる体に緊張が走ったけれど。
それはすぐに解け、柔らかいものに変わる。
「もぅ…」
窘められた様な、呆れられた様な、嬉しさが滲む様な。
どの色にも捉えられる、声色。
今、どんな体制? と言われれば。
これでもかって位に、俺はあやめにくっついている。
ん? あやめが俺にくっついてんのか?
まぁ、どっちでもイイや。
気持ちイイから。
柔らかい胸を背もたれに、俺はあやめに身体ごと寄り掛かっていた。
丁度、胸に頭を置いてるから、枕代わりに柔らかくて気持ちイイ。
此所には誰もツッコむ奴はいねェから良いんだよっ。
万事屋だったら絶対ェ出来ねェけどよ…。
此所には二人きり。
構うもんか。
触れる体は熱い。
けど離れたらもっと暑くなる。
ただ今、夏の暑さにやられて思考回路はショート中。
ただこの場が、この熱が心地良いから。
それだけが俺の脳を支配する。
微睡む体はズリズリと這い落ちて、頭は太股に落ちた。
俺は寝の体制に入ろうと向きを変えて、肌に顔を埋めた。
熱いけれど、サラサラとした感触に少し暑さが引いた気がした。
その感触が気持ち良くて、俺は顔を押しつける。
「銀さん、くすぐったいわ」
そう言いながらも降る声はどこか楽しそうで、髪を撫でる手は優しい。
身も心も溶け合っても一つに混ざり合わずに、いつまでも寄り添う様にそこに在る。
いっその事、この暑さに溶けて、混ざっちまえば一つになれんのかな。
「それにしても暑ィ。お天道さん頑張りすぎじゃねぇ?」
頑張ったって碌な事ねぇよ。夏は特によ、うん。
「『心頭滅却すれば火もまた涼し』よ、銀さん」
あやめの声にまた上を向く。
「…そりゃあ、お前は忍びだからこの位の暑さ、我慢出来んだろーけどよ」
あやめは身を屈め、俺と目を合わせた。
俺の顔に、あやめの影が落ちる。
…あ…少し涼しい。
髪が俺の顔にかからない様、髪を手で押さえている。
細やかな気配りが出来る女だ。
でも逆さに覗き込む顔は、まるで子供の様な無邪気さで。
ついちょっかいを出したくなる。
「? どうしたの? 銀さん」
俺の変化に気付いたらしい。
俺はどんな悪戯を仕掛けてやろうかと頭を巡らせる。
何処の餓鬼だと思ったが、生憎俺はお前に関しちゃまだまだ餓鬼だと自覚する。
どうにも自制が効かない。
止まってくれない。
「…お前、暑くないの?」
「暑いわよ?」
「嘘だな。涼しい顔してんじゃん」
その白い頬に触れてみたら冷たそうだ。
「そんな事ないわよ? 熱くて溶けそうだもの……銀さんに」
なんて。と、小さく笑いながらお得意の口説き文句と来たもんだ。
昔の俺なら一目散に逃げてるかもしれないが。
今の俺には効果テキメンだ。狙ってんのか、コノヤロー。
…ああ、でもコイツは天然だっけ。
天然なら余計始末に負えねェよ。
「…本当に溶けるかどうか、確かめてやる」
俺は上に腕を伸ばし、奴の首の後ろを軽く掴まえると、涼しい顔は降りて来て。
俺はその唇に己のそれを噛み付く様にぶつけた。
顔に当たるパーツがいつもと違う。
俺は手を付いて起き上がると、身体ごと伸びをしながら触れた唇ごと顔をずらした。
次第に触れるだけじゃ足りなくなって舌で突ついてみた。
小さく開いた唇を無理やりこじあけ舌を差し込み、逃げる舌を追いかけて絡ませ合う。
ピチャリと口付けを交わす音が身体中に響く。
更に深く舌を搦め、吸い付いき、舌で上顎をザラリと撫でた。
くすぐったいのか小さく声が漏れたが、声にならずにすぐに消える。
「ン……ゥン…」
濡れた声が耳に届いて背筋が痺れた。
背中を掴む指。
布越しに伝わる熱。
全てに熱く酔いそうで。
全て飲み込めずに溢れた唾液が、あやめの口端に伝う。
それを指で拭い、見せつける様に舐めた。
潤んだ瞳に俺を映して紅潮している頬。
頭に手を添え、横たえれば、そのまま、総てが俺の腕の中にある。
熱い身体を沈められるのは互いの熱だけ。
肌と肌が触れる温度差はないのに。
どうして混ざり合えないのか。
「本当だ、熱い、な…」
「ぎんさん…」
俺を呼ぶ声に。
頬を撫でる手に重ねるお前の手に。
背中に回る腕に。
俺はいつでもお前の熱にやられて。
蜃気楼の様にそこにありそうでない、掴めそうで掴めないものじゃなく、手を伸ばせばすぐにそこにある。
この熱さが―――。
「気持ちイイ」
熱い陽射しはやがて沈み、夏の空気を冷やしていくだろう。
けれど、俺達の熱さは増すばかりで冷める事がない。
焼け付く様な灼熱の太陽の代わりは、互いの身体。
暑さに溶けて、熱さに溺れて、身も心も焼かれるなら本望。
求めて果てる身体も思考も魂すらも。
いっその事、このまま二人で。
「…溶けちまえ……」
溶けて形を変えたグラス中の氷が、カランと音を立てた。
end.