小説

□会いたい気持ち-1
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   『会いたい気持ち』



「あっちい。五月も終ろうってのに、何だよこの暑さは。」

 俺は、音楽準備室の窓を閉めながらぼやいた。
これが温暖化ってやつかねえ。衣替えもまだだから、学院内の空調は冷えていない。
ま、今日は土曜日だから空調が入っているかどうかも怪しいな。
今、学内にいるのは、部活と補習を課せられた生徒と、それに付き合う教師。
俺は、といえば、テストの下書を作るため朝から机にかじりついていた。

   ◇  ◇  ◇

 コンクールが終わって一週間。
放課後を日野と過ごすために、毎日音楽準備室にいたら、音楽主任に捕まって仕事を押し付けられてしまった。

あ〜やだやだ、来週から策をこうじないと、また捕まっっちまうぜ。

数種類の草稿を作成し終えたら、もう昼だ。

「よし、あとは主任にまかせて知らぬ存ぜぬを決め込むぞ〜」無責任おおいに結構。

「めし、めし、腹減ったよ。もう限界。さてと、どこで食べるかな。駅前か、それとも家に帰って自分で作るかあ。」
   
 準備室と音楽室をつなぐ扉を開けると、合唱部の歌声がなだれこできて、少し驚いた。
防音だから当たり前だが、昨日まで、日野と二人のときは、必ず扉を開け放しておいたから…(密室で二人っきり、なんて、まわりに勘繰られても困るしな)

 日野は、今、なにしてんのかね。

ふと、脳裏に姿がよぎる。

 平常、土日は学院に入れない。特に許可されたもの以外はな。
例えば部活動、例えば補習。

コンクールの間は、特別に開放されていたんだ。
そう俺が言ったときの、日野のがっかりした顔が、可愛くって笑っちまったな。

『一日中、先生の側にいられると思ってたのに。』

 言葉にしなくても、わかっちまうのは。どうしてかね。
もちろん、俺の思い込みでないことは、日野の耳元で解答を囁いてみて、正しいかどうか確認済み。
胸まで赤くして『いぢわる』なんて睨まれたら、可愛い過ぎていじめたくなるだろ。

はあ、俺も重症だなあ。

   ◇ ◇ ◇

とりあえず、正門から交差点に出た。
信号を渡って真っ直ぐ進めば日野の家。
今頃、なにをしているだろうか。
友人と遊んでいるか、勉強しているか。まったり、のんびりするのもいい。俺推奨だ。
昨日の帰りぎわ、明日の予定に悩む日野に言ったっけ。

「今しか出来ないことを、やればいいんじゃないかな。コンクールの間、休日も練習しかしてないだろ。音楽のせいで、友だち減らした、なんて、笑えないぜ。」

大丈夫だと、返された笑顔がまた可愛くて…

「げふん、なに考えてんだよ、おれは。」


   + + +


 駅前商店街は、土日祝日が歩行者天国になる。
街角で楽器を練習している生徒を、ちらりと眺めて通りすぎた。
公園にいる気がする。確信に似たなにかがあった。

昼どきの公園は、人もまばらだった。
だったら、耳を澄ませばいい。
人工の川のせせらぎも、はしゃぐ子どもの嬌声も、あいつの音色を妨げることは出来ない。
   
 会いたい。

日野に会いたい。

お前も俺に会いたいだろうか?


目を閉じて耳を澄ます。優しい、清らかな音色が聞こえた。
これは、JE TE VEUX、俺の前で弾いたことはないが、音色を間違える筈がない。自然と歩みが早くなる。

木立ちを回りこみ、遠目に日野だと分かると、走り出しそうな足を気力で止めた。
今の気持ちのまま近寄ったら、抱きしめてしまいそうだ。日野の周りには、既に数人の聴衆が演奏を聞いている。

「平常心、平常心」

おまじないの様に繰り返す。大人の余裕を見せておかないと、あと、一年半隠し通すことなんて出来ないよなあ。




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