小説
□夏祭り
1ページ/1ページ
「夏祭り」
海へと向かう人の波に逆らって、香穂と金澤は歩いていた。
「すみません、先生。」
「気にしなさんな。お前さんたちと違って、祭りが楽しみだったわけじゃないからな。」
香穂は、ほんの少し前まで、はしゃぎ過ぎるくらい祭りを楽しんでいた。
花紺地に古典柄の浴衣が香穂の赤い髪に似合っている。
今年、火原の兄たちが花火会場の最前列を確保すると天羽が聞きつけ、間近で花火の写真を撮るために香穂たちを巻き込んだのだ。
月森、土浦、志水、火原、冬海、そして金澤。
正直、金澤が来てくれるとは思わなかったので、香穂のテンションは上がりっぱなしだった。
二人の恋は秘密だから、卒業するまで人の集まる場所へ遊びに行くことができない。
だから、一番後ろを歩く金澤を頻繁に振り返り過ぎて「前を見て歩かないと転ぶぞ」と金澤を苦笑させた
。
道に並ぶ露店をひやかしながら進むうち、天羽が歩く香穂たちをカメラで撮り始めた。
危ないぞ、と注意する金澤の声は少し遅く、捨てられたゴミに足を滑らせ、天羽は香穂を巻き込んで転倒してしまった。
「あいたたた。ゴメン日野ちゃん」
香穂は、しりもちをついた天羽の下敷きになっていた。
「大丈夫か? 日野」×2「日野ちゃん」「日野先輩」「香穂子先輩」
一斉に香穂の心配をする男組+冬海。
「ちょっと、あたしの心配もしてよぅ」
天羽を助け起こしながら、
「だから、金やんが危ないって言っただろ、ったく。」
と土浦。
「うぅ、ごもっとも。大丈夫?日野ちゃん」
天羽という名のオモリが無くなっても動かない香穂に金澤が駆け寄った。
「日野、どうした? 立てないのか?」
「あの、…下駄が・・・」
見れば下駄の鼻緒が切れている。
出しなに香穂が、姉から強引に借りてきた黒塗りの下駄だった。
「ごめん、あたしのせいだ。どうしよう修理してくれる店開いてるかな?」
「今日は無理だな。日曜日で祭りだ、飲食店以外は休みだろ。それに・・・」
金澤は一息切って言った。
「日野、お前さんは帰れ。足首を捻っただろ?」
「!?」
「痛いの!?日野ちゃん、あたしはなんてことを〜」
「土浦、この先にコンビニがあるからコレでスリッパかサンダルがあったら買って来い。」
「わかった金やん、日野待ってろよ」
座ったまま呆然としていた香穂は、慌てて立ち上がろうとして金澤に押さえ込まれた。
「動くなよ。腫れたら歩いて帰れなくなるぞ。俺が家まで送ってやるから大人しくしとけ。」
「日野、無理はしないほうがいい。今日の君は、ああ天羽さんもだが、周りが見えていないようだ。」
「日野ちゃん残念だね、でも来年は俺が場所取りするから、一緒に花火観に行こう」
月森と火原も、もう香穂が帰ることは決定事項のようだ。「そんなに痛くないの」という香穂の言葉は戻ってきた土浦の「ほらよ、健康サンダル」の声で相殺された。
そして、今、花火会場へと向かう人の群れに逆らって歩いている。
香穂は、鼻緒の切れた下駄を手に提げて揺らしながら金澤を見上げていた。
「祭りが楽しみじゃなかったら、どうして来てくれたんですか?」
「んー? どうしてだと思う?」
人の波から、背中で香穂を守るように歩いていた金澤は、振り向くと少し意地悪げに笑った。
「質問を質問で返すのはズルイです。わたし先生と花火を観るの楽しみにしてたのに。」
「みんなで、の間違いだろ?」
「それは…、仕方ないじゃないですか。二人がいいに決まってるでしょ」
「そうか? 俺は、女子ばかりや、百歩譲って月森たちがついて行くくらいなら心配しないがな、見たこともない大学生たちが一緒だと聞いたら、心配で天羽に行くって言っちまったんだよ。」
そんなやり取りがあったとは知らなかった。「ありがとう奈美ちゃん」香穂は心の中で礼を言った。
「でも火原先輩のお兄さんとお友達ですよ?」
「お前さんは警戒心がなさすぎだぞ。男はみんな狼なの、安全な男なんて存在しない」
「それで、わたしを会場まで行かせたくなかったんですか? 足を捻ったのなんかたいしたことなかったのに」
金澤は前を向いて歩き出した。
「・・・そうだよ。嬉しそうに何度も振り返るからさ、独り占めしたくなったんだ。」
横に並んで見上げると、頬が赤い?
「今日の先生…子どもっポイ」
「ああ〜?、祭りのせいかね。誰かさんと一緒で浮かれちまったかな」
香穂は、金澤の上着のすそを掴んで背中に擦り寄った。
「な、なんだよ、目撃者多数で俺を無職にする気か?」
「それは困る。じゃあ、先生。」
香穂の大きな目がネコのように光った。
「足が痛くて歩けません。責任持って家まで送ってください。お姫様だっこ希望」
「ほほう、そうきたか。おんぶだったら送ってやる。さあ、どうする? 恥ずかしいのは背負われるほうだぜ。」
「望むところです。」
即答。
「うぅっ、まじかよ。お前さん強者だな… 」
金澤は、期待一杯の目で見つめる香穂にたじろいだ。高級猫缶を見つけたネコにどこか似ている。
「・・・降参。どちらも勘弁してくれ、ほら、これで手打ちにしてくれよ。」
香穂に手を差し出した。
「手をつないでいいの?」
「べったり寄り添われるよりまし。会場からだいぶ離れたしな、手ぐらいいいだろ。」
今日だけ、特別だぞ。と香穂の手を包み込むと、甘酸っぱい気持ちが胸の中に広がる。
ドン! と花火が上がった。
通行人が一斉に空を見上げる。
香穂も見ようと振り仰ぐと、大きな手が顎を捉えて、耳元にキスが一つ落ちた。
真っ赤になる香穂に満足すると、しっかりと手を繋ぐ。
「今は、これが精一杯。」
ほんの少しだけ恋人気分を味わうために、ゆっくり帰ろう。
<終>