小説倉庫

□冬はつとめて
1ページ/2ページ

うっすらと色付いた地表をぼんやりと眺める。通りで冷えると思った。綿のように軽やかに見えるそれは実際そんなことはなく、触れれば容赦なく冷たさで皮膚をさすのだろう。憂鬱なのか感嘆なのか、漏れ出た吐息は凛とした空気に白く濁って溶けた。
「何を見ているんだい」
のそり、と空気が揺れた。くぐもった声はその殆どが口腔内で霧散している。完全には覚醒していないだろうことは容易に知れた。焦点の合わない、磨硝子のような瞳が揺らめいている。今日は調子がいいようだ。
「君も見てご覧、初雪だ」
「雪……? ああ、だからこんなに寒かったのか」
もぞもぞ布団から這い出し欠伸をする。少年染みた容貌にそぐわず、頤にはぽつぽつと髭が伸びている。似合わないことこの上ない。
「…… 何かおかしいことでもあるのか」
「いや、なんでもないよ」
「そうか」
再び眠りに落ちそうな彼に呆れを抱きつつ、まだ留めかけだった詰襟の釦をきちんとした。
「君も早く用意をしろよ。僕は時間になったら先に行くぜ?」
開け放していた窓を閉め、掛け金を掛ける。鞄の中身は前日に用意してあることは彼も知っている。これ見よがしに鞄に手をかけると、焦ったように寝台から転がり落ちた。
ぐしゃぐしゃに寝癖のついたままの髪を雑に撫で付け、よれよれの襯衣を身に付ける。ああ、もうこんな時間だ。
「関口」
「え? うわっ」
胸倉を掴み、引き寄せる。抽斗から剃刀を出した。
「ちゅ、中禅寺、何を」
「君は黙っていろ。僕がやった方が早いんだから仕方がないだろう」
喋っていると怪我をするかもしれないとでも言えば、彼はそれきり黙りこくった。





「よし」
塵紙で刃先を拭い引出しに仕舞う。襟巻もした方が良いだろうかと考えていれば、彼が動く気配がしないことに気付いた。案の定口を半開きにしたままで呆けている。本当に置いていってやろうか。
「関口?」
「関口君?」
「関口、いい加減にしないと置いていくぞ」
何度呼びかけても返事がない。仕方がない、置いていこう。





さくさくと雪を踏み締めながら、学校へと向かう。ほう、と知らずに息が漏れる。つい彼を置いて来てしまったが、大丈夫だろうか? 勿論彼への心配ではなく部屋に置いてある本達に対する心配なのだが。
「本バカじゃないか!」
「…… お早うございます、先輩」
面倒な人に会ってしまった。ああ、こんなことなら遅刻覚悟で彼を待っていた方が良かったかもしれない。
「ん? 何ダそれは! 猿に髭が生えているじゃないか」
「…… あんただって生えるでしょうに」
「これじゃ本当の猿だな!」
人の話を聞いちゃいない。だからこの人と話すのは嫌なんだ、いつもなら彼を人身御供に…… いや、何でもなかった。とにかく今はどうやって被害を自分から逸らすかを考えよう。
なんだかんだ言って、こんな日常が嫌いじゃない僕がいることは、きっとこの人には見抜かれているんだろう。



幕ヲ閉ジる
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ