Keep a secret

□これから先も
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 時谷くんが「勃つ」なんて言い出すから気まずい空気が流れたものの、話題を変えて話しているうちに元の雰囲気に戻れた。
 目が覚めたと言うから二時間くらい話をしていたけど、時谷くんはまた眠くなってきたようだ。何度も目を擦っている。

「夜ご飯の準備をしてくるから時谷くんは眠ってて。起きたら一緒に食べようね」
「お気持ちは嬉しいんですけど、夜ご飯はいいです。綾瀬さんは外が暗くなる前に帰ってください」
「う、家すぐそこだし……」

 時谷くんは微笑みながら私の心配をしてくれる。けれどまだ十八時前だし、私達は超ご近所さんだから多少暗くなっても平気だ。
 何よりお昼ご飯のリベンジを果たすまでは帰れないわけで。

「そうか、確かにそうですよね。僕としたことがその選択肢を忘れていました。暗くなったら僕が責任持って自宅まで送らせてもらいますね。近所だから大丈夫そうです」

 時谷くんは「その手があったか!」と勝手に納得して名案のように言ってくるが、そんな選択肢あり得ない。

「わかった。私は夜ご飯だけ作ったら時谷くんが起きるのを待たずに帰るよ。それなら外が明るいうちに帰れるはずだから」
「……本当にいいんですか? 僕すごく口下手で、お昼も失礼なこと言っちゃったのに……」
「いや、お昼の件は私の方こそごめん。もしも迷惑だったらちゃんと言ってね」

 本当にいいのか聞くべきなのは私の方だ。
 お昼ご飯のリベンジがしたいなんて私の都合でしかなく、微妙な味の料理をまた食べさせられる側はたまったものではない。

「っ迷惑なんかじゃありません!……僕がお昼に言いたかったのは……つ、つまりですね」

 勢いに任せて私に顔を近付けた時谷くんは慌てて離れて、恐る恐るといった感じで話し始めた。

「綾瀬さんが僕のために料理を作ってくれるだけで幸せ過ぎるし、美味しいに決まってるってことなんです……だから……その……夜ご飯もお願いします」
「……う、うん。作るね」

 なんだか酷く照れくさい。

 ――薫くんは七花を好きなんだとばかり思ってたよ。

 ふと、お母さんの言葉が頭をよぎる。

「そ、それってさ私だけが特別なの……?」

 聞かなければいいのに。いつも通り何事もなかったように流してしまえばよかった。
 言葉に出してから少し後悔した。

「……はい。綾瀬さんだけです。だって綾瀬さんは僕の初めて……いえ、やっぱり何でもありません。とにかく他の人の作った料理は味気ないってことです!」

 真剣な眼差しを私に向けていた時谷くんが最後に冗談っぽく笑う。
 はぐらかそうとしているけど「僕の初めて……」の続きが知りたい。
 それを知ることができたら時谷くんとの関係は大きく変わるような気がした。

「ま、待って。私は時谷くんの初めての何なの?……初めて出来た友達ってこと?」
「違いますよ。僕だって中学生の頃は友達がいましたから……ていうか友達とか、まだそんなことを考えていたんですね。僕達は友達なんかじゃないよ。友達同士がセックスしますか? しないでしょう?」
「な、何それ。そんな言い方ってないよ!」

 心底呆れたような表情の時谷くんはやっぱり私の期待を裏切った。

「ハァ……綾瀬さんは僕に優しくしてくれますが、前みたいな関係に戻ることを期待しているのなら諦めた方がいいですよ。僕はこれから先もずっとあなたと友達になるつもりはないので」
「……もういいです。時谷くんの気持ちはよーくわかったから! ご飯作って帰るね」
「綾瀬さん……!」

 私は感情のままにドアを叩きつけるようにして閉めた。
 無性に腹が立っていた。時谷くんにというよりは、自分に対して。

 期待は期待でも、友達になりたいなんて可愛いものじゃなかった。時谷くんも私のことを好きかも、なんてお門違いも良いところ。
 勝手に期待して、違ったらがっかりして、私って本当にバカみたいだ。

 しかも友達になるのすら嫌だと思われているなんてどういうことなの。昨日のデートや
、今さっきまでの態度と繋がらない。
 一つだけ確かなのは余計なことを聞かなければよかったってこと。口は災いの元だ。


 キッチンに駆け込んでから、時谷くんの部屋にスマホを忘れたことに気が付いた。
 さっき怒って飛び出してきたばかりですぐに戻るのは辛いものがある。
 少しの間うじうじ悩んだ後、しょうがなく取りに戻ることにした。どうしてもネットでレシピの検索をしたかったのだ。

 時谷くんはこちらに背を向けて横になっていた。恐る恐るベッドに近付くと規則的な寝息が聞こえる。
 よかった、もう寝てたんだ。
 私はホッとしながらベッドの脇に置き忘れたカバンを手に取った。この中にスマホも入っている。

 そのまま部屋から出ようとして――パソコンが目に付いた。
 恐らくこのパソコンに私の弱みである写真が保存されているはずだ。

「……時谷くん?」

 寝息だけが聞こえる静かな室内で、私の声はやたらと大きく響く。
 時谷くんから反応は返ってこない。規則的な寝息が乱れることもなかった。

 ……間違いなく寝てる。これは千載一遇のチャンスだ。
 こんなチャンス、また来るかわからない。
 むしろ私が行動を起こさなかったことが不自然なくらいに、時谷くんもパソコンも今日一日無防備な状態だったじゃないか。

 私は音を立てないように慎重に近付いてパソコンの電源を入れた。僅かな起動音にもビクビクしてしまう。
 モニターにはパスワードの入力画面が表示されるが心当たりはない。
 とりあえずスマホの時と同じように私の誕生日を入れてみるとか?

 しかし、私の誕生日でロックが解除されることはなかった。
 まあ、当然といえば当然だ。早々に行き詰まってしまったし、今日のところは諦めた方がいいかもしれない。

「……?」

 ベッドの上の時谷くんの様子を確認してからもう一度パソコンに目を遣ると、モニターの端に貼り付けてあるメモに気が付いた。

『そろそろ学校に来ない? 学校に来たら友達になろう』

 一年前の夏、私がポストに入れたメモ……をコピーしたもののようだ。
 こんな場所に貼っておいたら嫌でも視界に入ってしまいそうだが、見ていて不快に思わないのかな。いつも見ていたいから貼ってる……なんてことはないよね。

 ないと思う、けど。
 間違った数字をそのままにしてある入力画面に新しい数字を足していった。
 そして、私の誕生日の数字四桁と、新たに「0820」を合わせた合計八桁の数字でロックは解除された。

 解除できてしまったのだ。

「っ!」

 漏れそうになった声をなんとか抑える。
 「0820」は私が時谷くんの家のポストにメモを入れた日付だ。

「時谷くん、起きてる?」

 念のためもう一度声をかけてみる。反応は返ってこない。
 これで、画像を削除することができるかもしれない……でも、削除したら私と時谷くんの関係はどうなるんだろうか。
 もう時谷くんと関わる理由がなくなる。それは大歓迎だったことのはずなのに……いざ写真を消すことができるかもしれないと思ったら、迷いが生じる。

 ――やっぱりやめよう。
 時谷くんは病気で寝込んでいるのだ。
 消さなくてもいいという話ではない。ただ、この状況で何かをするのはフェアじゃないと思うだけ。
 自分でも言い訳じみていると思うけど、今回のところはそう結論付けることにした。

「……よし、やめよう」

 呟いた瞬間、時谷くんがもぞもぞと動く気配がした。でも視線を向けると時谷くんは変わらない体勢で寝息を立てていた。
 ちょっと過敏になりすぎていたかもしれない。私はパソコンの電源を落としてから部屋を出た。





 夜ご飯を作り終える頃には十八時半を過ぎていた。
 この時期なら外はまだまだ明るいものの暗くなる前に帰ると言った手前帰らなくちゃ。
 最後に様子を見に来ると、時谷くんはまだ眠っていた。

 さっきとは違い、仰向けで寝ているから顔がよく見える。無防備な寝顔は年齢より幼く見えて可愛らしい。
 幸せな夢を見ているのかな。緩んだ口元から時々むにゃむにゃと寝言を漏らしている。

 時谷くんのほっぺた柔らかそう。少しだけなら触っても起きないよね……?
 誘惑に負けて時谷くんの顔のすぐ横にしゃがみ、人差し指でそっと触れてみる。

「わっ、気持ちいい」
「ん……」

 もちもちと柔らかくも弾力のあるマシュマロみたいな肌が指を跳ね返してくる。
 時谷くんって奇跡の男子高校生だな。

「んぅ……」
「あ、やば」
「んん……綾瀬さ、ん…?」

 触れたのは一瞬だったが起こしてしまったようだ。時谷くんがうっすらと目を開ける。

「は、はい。綾瀬さんです」
「綾瀬さんだ。よかったぁ」
「っ!?」

 ぼんやりとしている時谷くんが私の首の後ろに両腕を伸ばしてきて、そのまま引き寄せられる。頭だけを抱きしめられた形だ。
 お昼に抱きしめられた時と体勢は違うけど、突然過ぎる状況とセリフはそっくりだ。

「んー……綾瀬さぁん……好き……」
「え?」

 ――心臓が止まるかと思った。いや、確実に一瞬息の根が止まった。
 普段と比べて呂律が回っていないけど、私の耳には「好き」とはっきり聞こえた。
 抱きしめられている状況は暑くて息苦しい。だけど嬉しくて仕方がない。

 ただ、そんなお花畑状態でいられたのはほんのわずかな間だった。

「すぅー、すぅー」
「えっ、寝てる? そんな、嘘でしょ。ち、ちょっと時谷くんってば! 起きてるよね? 今起きてたよね?」
「ん……すぅー……」

 寝てる! 完全に寝てる!!
 時谷くんは私を強く抱きしめたまま寝息を立てている。これはさっきの「好き」も寝言だったんじゃあ……。
 頭を抱えてうずくまりたい気分なのに私の頭は既に時谷くんに抱えられている。人の頭を抱きまくら代わりにしないでほしいね。

「綾瀬さ……ん……おい、しい……」
「美味しい?」

 時谷くんは口をもごもごさせている。私と美味しい物を食べている夢なのかな。寝言を言いながら笑う時谷くんは幸せそうだ。
 時谷くんの幸せな夢の中に私も存在しているのだと考えたら嬉しくなってきた。
 例えそれが夢の中だったとしても私の名前を呼ぶ優しい声は真実に思えた。

 どうして時谷くんのパソコンのパスワードは、私の誕生日とあのメモを入れた日付の数字だったんだろう。
 私が特別だというのはどういう意味で? 「僕の初めて……」の続きは? 私と友達になりたくない本当の理由はなに?
 たくさんの疑問に答えてほしいような、聞くのが怖いような、複雑な気持ちだ。

 窓の外で日が落ち始める。暗くなってから一人で帰ったら時谷くんは怒るんだろうな。
 でも、あと少しだけ……少しだけならここにいてもいいよね。
 そう思って、夢の中にいる時谷くんに私からも抱き着いた。どうか起きませんようにと祈りながら。
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