Keep a secret

□とっても幸せ
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「お母さん、お母さん! 風邪のお見舞いには何を持って行ったらいい?」

 リビングに入るなり慌ただしく声をかければ、休日を満喫中だったお母さんがテレビから私へと視線を移す。

「誰のお見舞い? 今日は薫くんとデートなんでしょ?」
「え?」

 今日がデートの予定だったこと何で知っているんだろう。

「おお、可愛い娘よ……昨日の時谷くんとの会話が丸聞こえだったことに気付いてなかったのね」

 泣き真似をしながらからかわれたら、私の顔面はカーッと急に熱くなる。
 ま、まさかあのこっ恥ずかしいやりとりをお母さんに聞かれていたなんて……恥ずかしくて膝から崩れ落ちるしかない。

「でも驚いたなぁ。七花と薫くんはもう付き合ってるんだと思ってたよ。昨日の様子だとまだ付き合ってなかったのね。本当にもう。デートの約束一つするのに大騒ぎって感じ。初々しい会話を聞かされてお母さん恥ずかしくなっちゃった」

 お母さんは嫌らしい笑みを浮かべながら私に追い打ちをかけてくる。

「付き合ってるわけないでしょ! しかも"まだ"って何なの!? 私と時谷くんが付き合うとか……絶対……有り得ないんだから……」

 そう、私と時谷くんが付き合うなんて有り得ないことだ。わかりきった話なのに悲しくて言葉尻が弱くなってしまう。

「どうして有り得ないの? 七花は薫くんのこと好きじゃないの?」
「べ、別にお母さんには関係ない!」

 この手の類の話を母とするのはどうにも気恥ずかしい。
 お母さんは「うーん」とうなりながら首を傾げ、私の顔をまじまじと見つめる。

「なんか残念だねぇ。七花が好きじゃないなら薫くんの片思いだったわけだ」
「んなっ!?」

 口から間抜けな声が出る。素でコントみたいなずっこけ方をしてしまいそうだった。

「お母さんは変な勘違いをしてるっぽいね。時谷くんは多分他に好きな人がいるよ。わかんないけど……」
「えー! そうだったの? 薫くんは七花を好きなんだとばかり思ってたよ。こないだゴミ捨て場で会った時なんて、七花のことで泣き出したんだよ? この子はうちの娘に惚れてるなって確信したんだけどねぇ……」

 今時の若い子って複雑なんだね……としみじみ言ってお母さんは再びテレビに視線を戻した。

 ――時谷くんが泣いていた?
 お母さんと時谷くんがゴミ捨て場で会ったのは登校日の翌日だったはず……その時の時谷くんは、部室で私にレイプ未遂をしたことを泣くほど後悔していたのだろうか。
 だけど、その後に写真があると言って脅されたのだ。後悔していたならそんな行動を取るはずがない。

 ただ、時谷くんがああやって脅さなかったら私達はそれ以降話すことはなかったのかもしれない。
 遊園地に行くことも、私からお見舞いに行きたいと言い出すこともなかった。
 脅されるなんて御免だけど、私と時谷くんの関係を繋ぎ止めたのもまた事実で……

「もおっ! お母さんが変なこと言うから頭がパンクしそうじゃんか。お見舞いで何持って行ったらいいのか一緒に考えて!」





 お母さんに散々八つ当たりしながら準備を終えて、時谷くんの家の前に来た。
 さっき時谷くんが立っていた場所から我が家の方角を見てみるが、ここからでは角度的に二階の窓までは見えないらしい。
 よし、さっき覗いていたことを時谷くんに気付かれた可能性はないな。

 現在時刻は午前十時――
 頭上から日光がガンガンに降り注ぎ、更に道路からその熱が照り返していた。
 こんな場所によく長時間立っていられたもんだ……時谷くんの異常さにまた一つ気付かされる。

「綾瀬さん、おはようございます!」

 インターホンに手を伸ばす前に勢いよく玄関が開いて時谷くんが顔を出す。

「おは――えっ!?」

 声はいつもより低くとも元気そうな時谷くんの姿はやっぱり異常だった。マスクを何枚も重ねていて口周りが膨らんでいる。

「どうぞ」
「うん。お邪魔します」

 喜び勇んでお見舞いに来たまではよかったものの……私は時谷くんを少し舐めていた。
 彼は私が来ているのに大人しくしていられるような性格ではなかったのだ。
 まず私にリビングで待っているよう告げると廊下の壁に手をつきながらどこかへ行ってしまった。そして、飲み物やお菓子を乗せたお盆を持って帰ってきた。

「……何なのこれは?」
「ジューサーで作ったグレープフルーツジュースです。薄皮を丁寧に剥いたので苦味がなくて綾瀬さんの好みだと思います。よかったらどうぞ」

 ソファーに座る私の横で立ちっぱなしの時谷くんが、お盆に一個だけ乗せていたグラスを渡してくれる。
 マスクのせいで息苦しそうなのに彼の瞳はキラキラと輝いていた。

「駄目だよ! 私はお客さんとして来たわけでは」
「駄目、ですか。市販品じゃ綾瀬さんへの感謝の気持ちが伝わらないと思って手作りしてみたんですけど……」

 私をお客さん扱いしないでほしいと訴えようとしたら時谷くんの瞳があっという間に暗くなった。
 病人を落ち込ませている……安静にさせようと思って来たのにこれではむしろ私がそれを邪魔してるじゃないか。

「あ! 念のために他の飲み物もいろいろ用意しておいたので安心してください。今持って来ますね」
「いやいやいやちょっと待った!」

 思い出したようにリビングから出て行こうとする時谷くんの服のすそを慌てて掴む。

「グレープフルーツジュースもらうね」
「はいっ」

 振り返った時谷くんは嬉しそうに何度も頷いた。このジュースを頂いたら時谷くんにはベッドで横になってもらおう。

「よかったらこれも食べてくださいね」

 隣に座った時谷くんがテーブルの上に可愛らしい箱を置く。マスクを外す気配がない時谷くんは一緒に食べるつもりはないらしい。
 甘い物を食べると元気が出るから一緒に食べたらいいのに……と思いながら箱を開けると中にはマカロンが入っていた。

「ありが……ってこのマカロンはまさか!?」

 カラフルで見た目も可愛いこのマカロンをよく知っている。ずっとずっと食べてみたかったお店のマカロンだ。

「あっ……ち、近いです!」

 興奮して思わず隣の時谷くんに顔を近付けると、時谷くんはすぐにソファーの端っこまで逃げていった。そのまま顔を隠すように両腕をクロスしてバリケードを作る。

「駄目ですよ。僕にあんまり近付いたら。できるだけ距離を取って話しましょう。正直嬉しいけど、嬉しいけど……駄目なんです」
「あ、そっか。そういえばそうだったね」

 飛沫感染を防ぎたいのか時谷くんは喋る瞬間だけこちらにさっと背中を向ける。

「あの……それは一昨日綾瀬さんに出そうとしたマカロンです。すみません。僕が食べたから一つ減っていますが、今日までの消費期限なのでもしよかったらどうぞ……」
「あ……一昨日の……」

 気まずそうに喋る時谷くんに私も一昨日の一連の出来事を思い出した。

 一昨日このリビングで三時頃にお茶会をする流れになった際、時谷くんが持ってきてくれたお菓子はこれだったのだろう。
 恐らく去り際に持ち帰らないか聞かれたのもこのマカロンのことだ。あの時の私は時谷くんなら毒くらい盛りそうだと本気で思っていたから受け取る気にはならなかった。

 今は出されたマカロンに嫌悪感など少しもない。それどころか嬉しく思っているのだから人の気持ちの変化は恐ろしい。

「それじゃあいただきます」
「はい……」

 茶色のマカロンを選んで一口かじると甘い甘い味が口の中に広がった。さくさくした外の生地も、しっとりしている中のクリームもチョコレートだ。

「どうですか? 美味しい、ですか?」

 ――美味しい。
 見た目は良くても味がいまいちなマカロンしか食べたかったことがなかったから感動してしまう。

「これ超美味しいよ! マカロンってこんなに美味しかったんだね」

 何故か不安そうに見守っている時谷くんの方に体を向けて興奮気味に喋ると、

「う、嬉しいです。ありがとうございます! もっともっと食べてくださいね」

 時谷くんは一瞬きょとんとしてから私の大好きな笑顔を見せた。

「ありがとうってそれは私のセリフだよ! このお店のマカロン食べてみたいってずっと思ってたんだ! 人気の店だから並ばないと買えないらしいし、なかなか行けなくて……ありがとね時谷くん。あっ! ていうか時谷くんはこのお店でよく買うの?」
「ぼ、僕ですか? このお店は……えっと」

 時谷くんもこのお店が好きならいつかデートで行ってみちゃったりして……それでお店内のカフェで楽しく話しながらお茶するんだ。
 妄想を膨らませながら早口で喋る私に引いたのか、時谷くんはどうも歯切れが悪い。

「それにしてもセンスいいね。このお店を選んだら女の子は絶対喜ぶもん」
「セ、センスが……いい……センスが……センスがいい……」
「時谷くん、どうした?」
「綾瀬さんの言葉を胸に刻みました。僕は今の言葉を生涯忘れません」

 俯きながら何やらぶつぶつ呟いていた時谷くんは胸に手を当てて穏やかな顔を見せる。

「――綾瀬さん!」
「は、はい!?」

 かと思えば時谷くんはいきなり近寄ってきて私の手を握った。
 情緒が不安定な時谷くんに振り回されている。今度は真剣な雰囲気だから緊張する。

「僕、この店の常連なんです! 実はマカロンとか甘い物が大きら……す、好きなんですよ! 大好きなんです」

 甘い物が好きだとカミングアウトするのは時谷くん的にはかなり勇気がいることだったのかもしれない。私の手を取り、ぎゅっと握った時谷くんの手は妙に震えている。

「時谷くんも甘い物好きなんだ。甘い物を食べると幸せになれるよね。疲れがどこかに飛んでいっちゃう気がする!」
「幸せに……」

 時谷くんとは何もかもが正反対で気が合わないのかと思っていた。
 前にブラックコーヒーを飲んでいるのを見かけたから甘党なのは意外だったけど、共通点が見付かって嬉しい。
 もし時谷くんとのデートコースを決めることになったらとりあえず甘い物を食べに行けば大きく外すことはないわけだ。

「じゃあ綾瀬さんは……僕が買ってきたマカロンでも幸せな気持ちになってくれたの……?」

 時谷くんの瞳は不安げに揺れている。
 不思議なことを聞くんだね。時谷くんのくれたマカロンは甘くて美味しくて……具合が悪いにも関わらず私を一生懸命もてなそうとしてくれているんでしょう。

「とっても幸せだよ」
「あ、ありがとう……ありがとうございます……」

 時谷くんは眉を八の字にして今にも泣き出しそうに瞳を潤ませた。そんなつもりないのに彼を泣かせてしまうのは何故なんだ……。

「だから時谷くんがお礼を言う必要は……」
「言わせてください! 僕が買ってきたマカロンで少しでも幸せになってくれてありがとうございます!……なんだか報われたような気がして、すごく嬉しいんです……」

 胸に手を当て、目を閉じている時谷くんは今の出来事を胸に刻んでいるんだろうか。
 そして生涯忘れることはないのかな?
 ……有り得ない。
 だってこんな些細な出来事は時間の経過と共に記憶から薄れていくはずだ。
 それでも時谷くんは本当に幸せそうに目を閉じているから、私も今日の些細な出来事をできる限り長く覚えておきたいと思った。

「時谷くんも食べよう。元気が出るよ」
「僕がマカロンを? そ、そうですね……マカロンはものすごく甘いですよね。甘くて甘過ぎてちょっと……あの……」
「あれ? このお店の常連客なんだからマカロンが好きなんじゃないの? それに甘い物も大好きだって言ってたよね」
「い、い、いや、あの」

 変に焦ったような態度を取るものだから追及すると時谷くんは更に慌て始めた。
 今は体調も悪いことだし、食べたくない気分ならそれでいいんだよ。何もそんなに焦らなくてもいいのに。

 そして時谷くんは最終的に、鼻をつまみながら食べるという不自然極まりない行動を取ったのだった。
 「マカロンって甘くて美味しいですよね」と涙目で笑う時谷くんはやっぱり少し変わった男の子だ。
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