Keep a secret

□お手をどうぞ
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 時刻は十七時過ぎ――
 帰る客が増えて園内は空いてきていた。
 メリーゴーランドも人が半分も埋まっていない状態で動いている。その中には幼い子供だけでなく中高生の姿もちらほらあった。

「人が少なくなってきたね」
「は、はい」

 メリーゴーランドを眺めながら話しかけると時谷くんは何やら緊張していた。

「あっ! あの白馬に乗りたい。時谷くんは隣の黒い馬が良くない?」

 回り続けている木馬を指差せば、俯いていた時谷くんが顔を上げる。

「僕は乗りませんよ。ここで待ってます」
「乗らない!? ならどうして最初はメリーゴーランドに行きたがってたの?」
「ふふっ、メリーゴーランドに乗ってる綾瀬さんの写真を撮りたくて……絶対可愛いと思うんです」

 時谷くんは懐からデジカメを取り出しながらはにかんだ。
 ……相変わらず読めない人だな。私のこと嫌いって言ったくせにデジカメまで持参して写真を撮りたがるのだからわけがわからない。

「あ、停まりました。早く行かないとさっきの白馬が他の人に座られてしまいますよ」

 私は時谷くんに背中を押される形でメリーゴーランドの入場口を通った。
 そのままさっき乗りたいと言った白馬の前に連れてこられる。

「本当に時谷くんは乗らないの?」

 メリーゴーランドに一人で乗るのは気恥ずかしい。一緒に乗ってほしかった。

「こんなメルヘンな乗り物、僕には似合いませんよ……ということで、あそこから写真を撮ってるので目線お願いしますね!」

 そう言い残して出て行ってしまったけれど、時谷くんはメリーゴーランド似合うよ。
 本物の王子様みたいなルックスだし。むしろ似合ってないのは私の方かも。

 時谷くんを少し恨めしく思いながらさっきの白馬に跨る。
 遠くから見ると綺麗でキラキラした乗り物に思えるけれど、近くで見たら木馬の塗装が剥げていて歴史を感じた。


 やがてメリーゴーランドはメルヘンな音楽に合わせて動き始めた。
 木馬が上下に揺れながらゆっくり回る。
 メリーゴーランドに乗るのは小学生以来だ。このゆったりとした動きと、可愛らしい音楽が懐かしい。

 時谷くんはメリーゴーランドの周りで熱心に子供の写真を撮っている父兄の輪の中に、違和感なく溶け込んでいた。
 真剣な表情でデジカメを覗く目に、私はどう映っているのかな。
 私の乗った馬が時谷くんの前を通過する。

「綾瀬さーん! 誰よりも可愛いです!」
「っ!」

 時谷くんが叫ぶ。子供に向けて遠慮がちに手を振る大人達の隣で、彼だけがぶんぶん大きく手を振っている。

「も、もう……時谷くんは……」

 時谷くんは普段は口数が少なめで大人しいけれど、意外と無邪気で子供っぽい部分を合わせ持っている。
 こんな屈託のない、弾けるような笑顔が見られて嬉しい……きっと学校では見ることができなかった、ここが遊園地だからこそ引き出せた笑顔だ。

「時谷くん、詐欺写真撮ってねー」
「詐欺写真? 任せてください!」

 私も笑顔で手を振り返す。声は気持ち小さめで。

 メリーゴーランドが回る、回る。
 近くを通ると時谷くんは笑顔で手を振ってくれる。それが妙に照れくさい。一周する度に、鼓動は早くなっていく。
 まるで恋人同士みたいだ。
 やっぱりメリーゴーランドには女の子の夢が詰まってる……のかもしれない。


 繰り返し流れていた音楽が終わり、メリーゴーランドは速度を落として停止した。
 他のお客さんが次々に降りていく。足元を見ると意外に高さがあるように感じた。

「お手をどうぞ、お姫様」

 もたつく私の眼前に手の平を差し出されて、時谷くんと目が合う。
 私が、お姫様……頬がかあっと熱くなる。

「この言葉……なんだか照れますね」
「うん……」

 柔らかな微笑みを浮かべた時谷くんの頬も赤く染まっている。
 目を逸らすのがもったいなく思えてぼんやり見つめた後に、慌ててその手を取った。

「ご、ごめん。今降りるね」

 ひんやりと冷たい時谷くんの手を借りて木馬を跨いだ。足場に足を乗せて、床までの高さをジャンプして降りる。
 その時、白馬の近くの位置に停止していた馬車がふと目に入った。

「馬車……」
「え?」

 手を貸してもらえるなら馬車から降りた方がずっとロマンティックだっただろうな。

「ああ、そうか。綾瀬さんは白馬に乗った王子様なんですね」
「私が王子様なの?」
「……きっと両方です。綾瀬さんは囚われの僕を救った王子様で、初めての気持ちを抱かせてくれたお姫様です」
「あ、ははっ! 良いねその設定!」

 私は握っていた手を振り解き、照れ隠しで大袈裟に笑ってみせた。

「そうだよ。綾瀬さんは僕だけのものなんだから、僕の許可なく手を離さないで」

 時谷くんの表情が暗くなり、離した手を再び絡め取られる。
 強く握られた手は時谷くんの所有物になってしまって、もう二度と私の元にはもどってこないような不安感。
 なんだか息が詰まる。時谷くんの視線から逃げるように俯いた。

「っていうのは冗談です。もう、なに固まってるんですか? 言い返してくれないと困りますよ」

 さっきまでの力強さが嘘みたいにパッと手を離される。また明るい表情にもどっていたけれど、昨日の時谷くんを思えば冗談だなんて思えなかった。

「綾瀬さんは次どれに乗りたいですか?」
「え……あ、待って!」

 戸惑う私を残して出ていく時谷くんの背中を慌てて追い掛けた。


 その後は定番のアトラクションに片っ端から乗っていった。
 お化け屋敷、コーヒーカップ、ゴーカート、空中ブランコ、水飛沫がかかるコースター、他にもいろいろ。
 きっとお互い腹の底に何かを隠しているんだろうけれど、それでも楽しい時間だった。

『ぎゃああああっ! こっ、殺されるー!! ととときたにくん助けてぇぇ!!』

「あぁっ、すごい……ここの綾瀬さんの裏返った声たまらないです。こんなに怖がってくれるならお化け役の人も脅かし甲斐あったでしょうね」

 お化け屋敷などものともしない時谷くんは、私の悲鳴を勝手に録音していたのだ。
 現在ベンチでの休憩中に、その恥ずかしい音声がお披露目されている。穴があったら入りたい……。

「はぁっ、興奮しますね……でも、はしたない言葉を僕以外に聞かせたのは許せません。二人きりの時だけにしてくださいね」
「ははは……」

 「ギブギブ! おしっこ漏れちゃうよおお」という絶叫について言っているのだろう。そんなこと言った記憶はないが、何故か私によく似た音声が録音されていたのだ。
 多分心霊現象の類だ。そうに決まってる。

「綾瀬さんの怖がりなところもかわい……くしゅっ」
「大丈夫? 寒い?」

 上機嫌で私をバカにしていた時谷くんがまたくしゃみをする。控えめなくしゃみは中性的な時谷くんらしくて可愛い。
 時谷くんは水飛沫がかかるコースターに乗ってからずっと寒そうにしている。
 今はもう乾いたものの濡れた服で遊んでいるうちに体が冷えてしまったようだ。

「もう十九時だし、帰ろうか?」

 閉園は二十時。一通り遊び尽くしたし、そろそろ帰り時だ。

「……最後にあれに乗りませんか」

 時谷くんがライトアップされた観覧車を見上げる。日が落ちてすっかり暗くなった園内を照らす観覧車は綺麗だ。
 私も時谷くんと乗ってみたい。

「乗りに行こうか」
「はい!」

 時谷くんは嬉しそうに大きく頷いた。





 人が少ない観覧車に乗り込んで、狭い空間で向かい合わせに座る。私達を乗せた赤いゴンドラは徐々に地上から離れていく。

「高いなぁ。観覧車も命の危険あるよね」
「や、やめてください。いくら運命を共にできるといっても、まだ綾瀬さんとしたいことが山ほどあるんです。嘘つきで……罪を犯した僕は地獄行きだから、天国に行く綾瀬さんとは離ればなれです。死にたくありません……」

 悪戯心で言ってみた言葉は思いのほか時谷くんに効いたようだった。
 しょんぼりしている時谷くんを励ましてあげたいけれど……昨日の行為は犯罪だし、私だって許したわけではない。
 でも地獄、地獄か……地獄には落ちてほしくないな。
 閻魔大王様、その時が来たら時谷くんを天国に行かせてあげてください。
 口に出すことはないが密かに祈った。

「……綺麗ですね」

 私の真正面で時谷くんがぽつりと呟く。
 一瞬ドキッとさせられた。でも私はすぐに思い直して外に目を向ける。

「うん、綺麗だね」

 今は半分くらい上ったところ。光に彩られた園内は、昼とは違う顔を見せていた。

「時谷くん、今日はありがとね。遊園地すっごく楽しかったよ」

 素直に伝えるには勇気が必要な言葉だったけれど、綺麗な夜景が背中を押してくれた。
 しかし、ゴンドラ内は私の言葉をきっかけに静まり返る。時谷くんは大きな瞳を見開いて固まっていた。

「おーい、時谷くん?」
「あっ」

 眼前で手をかざして揺らしてみせると彼の意識はやっとこの世界に戻ってきてくれた。
 ぶるっと震えてから、忘れていた分を取りもどすようにまばたきする。

「ぼ、僕もです! 今日は人生で一番楽しい日でした。あ、綾瀬さんと過ごせて楽しかった日は他にもたくさんあります。だけど、綾瀬さんも楽しいって思ってくれた今日が一番です!」

 時谷くんは狭いゴンドラ内で身を乗り出し、膝の上に置いていた私の両手に自分の手を重ねてきた。

「大げさだなぁ。パスポートの無料券もありがとね。時谷くんの分、私も半分出すよ?」
「いいんです。パスポート代は僕の自業自得なので気にしないでください」
「自業自得って?」
「……男性用の無料券も家にあったのに持ってきませんでした」
「何でそんなこと?」

 乗り出していた体を背もたれに預けて、時谷くんは頭を抱えている。
 その無料券が女性用と同じ物なら使用期限は今日までだったはずだ。もったいない。

「キス、したかったんです」

 重ねられていた手に指が絡んできて、心拍数が跳ね上がる。

「無料券が一枚しかないから僕の分だけ払わないといけない、そういう状況になれば綾瀬さんは心苦しく感じてキャンペーンに参加してくれると思いました……」

 時谷くんは瞳を揺らしながら一言一言をゆっくりと紡いでいく。

「僕、駄目なんです。綾瀬さんを抱いてから、唇にも触れてみたいって欲が抑えられないんです……でも、強引に唇を奪って、これ以上嫌われることになるのが怖かった。キスをしないといけない理由があれば、自然な流れでできるかなって……遊園地楽しかったって言ってくれたのに、不純な理由で連れて来てすみませんでした」

 深々と頭を下げる時谷くんに、なんて声をかけたらいいのかわからない。
 キス以上の行為は無理矢理したのに、キスは出来ないなんて変なの。

「白状すると遊園地にいる間、綾瀬さんの唇から目を離せなかった。ずっとキスのことを考えていました。ミラクルドラゴンで手を繋いだ時も、具合の悪い綾瀬さんを抱きしめた時も、メリーゴーランドで手を貸した時も、お化け屋敷で背中にくっつかれた時もずっと……」
「わ、わかったから。もういいよ」

 恥ずかしい恥ずかしい。「はい、今日はもう解散です」って走り出したいくらいなのにここは逃げ場がないのだ。

「全然よくないです。もうすぐ観覧車の頂上なんですよ……」
「わっ、本当だ!」

 少し目を離した隙に私達を乗せたゴンドラは頂上付近まで来ていた。
 観覧車の頂上ってわくわくする。私が笑みをこぼすと、時谷くんは悩ましげに瞳を潤ませる。

「綾瀬さんの唇はどんな感触なんですか。マシュマロみたいに柔らかいのかな……唾液の味は……?」
「っ、ま、待って!」

 急に引っ張られ、時谷くんに向かって倒れそうになるのを根性で回避する。
 入場ゲートではキスして欲しいとすら思っていたが、今はファーストキスを守りたかった。時谷くんのキスはエッチそうで危険な香りがする。

「この状況でキスしたら駄目なんて拷問です」
「か、観覧車は健全な乗り物ですよ?」

 手の甲を撫でる手つきはどこかいやらしい。時谷くんの顔が近付いてくる。私は背もたれにもたれ掛かって距離を取ろうとするが、この狭い空間では何の意味もない。

「綾瀬さんとキスしたい」
「時谷くん……」

 それはうっとりするような甘い囁きだった。両手をそれぞれ私の手に絡めて、時谷くんが覆いかぶさってくる。
 彼にもう迷いはなかった。目を閉じた綺麗な顔が間近に迫る。
 ゴンドラはついに観覧車の頂上に到着したようでわずかな時間だけ停止する。

「時谷くん、私が……!」

 こうなったらもうヤケだ。時谷くんの手を振り解き、間近に迫った両頬を包んだ。
 柔らかくてすべすべの肌、火照った時谷くんの温度が手の平から伝わる。
 驚いて目を開けた時谷くんと入れ替わりで目を閉じて、前髪で隠れた彼の額にそっとキスを落とした。

 ほんの一瞬だけのキスを終えると時谷くんは口をパクパクさせ、腰が抜けたように向かいの椅子に座り込んだ。

「綾瀬さんが……キ、キ、キスした……」
「ま、まあね」

 耳まで真っ赤な時谷くんは自分の頬をつねって今の出来事が現実なのか確かめている。
 そう、キスはキスなんだからこれで納得してもらいたい。

「い、痛い。夢じゃない」

 結論が出たらしい。痛そうに頬を擦りながらも表情は目に見えて明るくなっていく。
 どうして彼は時々、怖いくらいの純情少年になってしまうのだろうか。「今日はもう顔を洗わない」「今日は初キス記念日」だとか言って浮かれている。
 ファーストキスを守れて嬉しいのに、少し残念なような……不思議な気持ち。
 いつの間にかゴンドラは地上に向けて動き出していた。

 乗り場に帰ってきた赤いゴンドラの扉を係員さんが開けてくれて、先に降りた時谷くんが私に手を差し伸べる。

「お手をどうぞ――」

 お姫様。声に出されなくても口の動きでわかった続きの言葉。時谷くんと一緒にいると私の心臓は落ち着いている暇がない。
 優しく微笑む時谷くんの手の平に手を重ねた。
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